16人と先生方とお父さんお母さんとオレのNコン2016

以前にも書いたが、《秋日傘》という素晴らしい作品がある。
作詞をされた康 珍化さんが、実際に東北の被災したある町の風景を見られ、それを詩にされ、その詩にBOSS(都志見 隆)が曲をつけられ、中西保志さんが歌ってらっしゃる作品で、1年ほど前にリリースされた。

この作品を、石巻市立荻浜中学校の全校生徒さん16名が歌いたいと言い、第83回NHK全国学校音楽コンクール(Nコン2016)宮城県大会という公の場で混成6部合唱というスタイルで披露することになり、その編曲をやらせていただいた。

編曲を作業場でやっているときに熊本地震が起き、編曲を仕上げてすぐに熊本に向かった。
そんな、震災という哀しい出来事とは切っても切れない、オレにとっても深い思い出を持つ作品になった。

 

この作品を、実際に震災に遭った生徒さんたちが歌う・・・作品や世の中的には大きな意味を持つだろうが、しかし本当にこれで良いのかどうかを何度も自問自答しながら作品に関わらせて貰った。
「今年のNコン、この曲を歌うんだよ」と生徒さんが家に持ち帰ったとき、親御さんたちは どう感じられるのだろう?
いや、大人よりも、震災当時7歳〜9歳だった生徒さんの心には、どんな影響を及ぼすのだろう?
そういったことを考えると怖くなかったかと言えば嘘になる。

だからこそ、真摯に編曲をさせていただいた。
この作品を、東北の方々が歌ってくださることを、作家の先生方は本当に喜んでくださっていた。
この曲を聴いて、この歌を唄うことを、生徒さんたちは真っ直ぐな瞳と言葉で伝えてくれた。
いま思い出しても本当に苦しくて辛い1ヶ月半だったが、多くの人の期待や想いが、自分のポテンシャル以上のものを引き出してくれたような気がする。

 

 
編曲者として、8月16日からNコン当日まで、毎日 生徒さんに合唱の指導をさせていただいた。

1ヶ月ほど前に送られてきた合唱の動画を観たときには、「これはヤバいかもしれん・・・苦笑」と感じるくらい大変な状態だったのだが、さすがは中学生の柔軟で吸収力のある脳みそである。
オレが入って2日目には、ざっくりとだが形になってきた。
恐るべし中学生の集中力、である(笑)。

聞けば、早朝から駅伝の練習で全員が4kmを走り、そのほかにも夏休みの宿題や部活の練習、大会などもあり、そして習い事や塾に行く生徒さんもいるという。
1日の稼働時間で言えば、世のオトナの勤務時間よりも遥かに長い!
そんな中で彼らがオレと過ごす4時間余りを決して無駄にしないようにしようと、厳しく、そして楽しく感じて貰えるように指導した。

 

「本番は、練習の半分くらいしか出ないからな。だから もっともっと練習して、自分を自分で磨いていく努力をしないといけないよ」

・・・・・アーティストに言うセリフそのまんまを中学生に要求もした(苦笑)。
大人と何かを一緒につくっていくということ、プロと音楽を一緒にやるということ、そして何より、ステージ(舞台)に立って 観客に音楽で何かを伝えることの難しさを知るということ、
そんな厳しさも含めて”音楽を楽しい”と思って貰いたいと心底思った。

そんなオレの勝手な想いに彼らは応えてくれ、そして本当によく頑張りました。

 

しかし、本番には魔物がいる。

これは、プロだろうがアマチュアだろうが、舞台に立つ人間にだけ分かる感覚。
彼らや彼らを取り巻く大人たちとて例外ではないのです。

でも、本番が終わって、一人ひとりと握手をして、ホールの外で記念写真を撮ってるときの生徒さんの表情を見て、「彼らは心の底からやり切ったんだな」ということと、「ひとり一人に、今日の結果に思うところがあるんだな」ということが見て取れて、彼らと一緒に音楽をやった数日間が、より尊いもののように思えました。

 

荻中の16人の生徒さん、
みんなを引っ張ったリーダーのルキ、
本当によく頑張りました。

そして先生方、ご父兄の皆さん、
このような機会を与えていただいて、本当に有難うございました。

この歌が、これからも荻浜の海や山や空に響いていくことを、心から願っています。

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復興【もとの盛んな状態に返ること】

約7ヶ月ぶりの石巻・女川は、前回とまた違う街になっていた。
復興のスピードは、以前よりも進んでいるようにも見えるが、人間に必要な衣食住で言えば”住”や 街としての体・態を成すことに重きをおいている様な気がする。

何度も通った道のりの、脇に広がる住宅地には、もう殆ど津波でヤラれた痕を残した家は無いが、海沿いには高い高い壁が立ち、海の色も潮の流れや波も全く見え無い。
日和大橋のテッペンから見える風景は、それはそれは無機質で、その風景が無言で津波の恐ろしさを語っているようにも見える。

 

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女川の病院(現・医療センター)の眼前に広がる風景は、あの頃とは全く異なり、より無機質で、今では どのくらいの高さの津波がこの町を襲ったのかさえ分からなくなっている。
かさ上げされた新しい地面から病院の駐車場までは あまり高さを感じなくなっているし、病院の裏手には新しい駅や綺麗な商店街が並ぶ。

日和山公園から見る風景も、以前とは少し変わった。
真正面に見えていたお寺が全く見えなくなり、その風景を遮っているのは復興住宅である。
当時、真っ黒に焼け焦げていた町には青々と草や樹が茂り、のどかな雰囲気を醸し出してはいるが、その向こうには、先に書いたような高い高い壁が、広く大きく続いている。

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人を”生かす”ために、町を”活かす”ことを放棄し、そして雨風をしのげる場所を多く造り、津波よりも低い防波堤を何億円もかけて造る。
それが、今もっとも必要なことなのだろうが、そうやって人間が知恵を捻って絞り出した答えが、本当に正しいのかどうかは誰にも分からない。

いや、その答えが出るような日が、二度とこないことを心から願う。

 

あの震災から5年と5ヶ月、
この街で会う人たちの心の復興は、まだずっとずっと先のことのような気がする。

 

 

旅、のようなもの

VR作品の、台湾での初リリースは大盛況に終わった。
連日 長蛇の列ができて、2日目などは本来の終了時間よりも40分ほど前に”打ち止め”が出たくらい。ほかにも多くのブースが出ていたが、他のブースの関係者がその光景を写真におさめに来るくらい素晴らしい結果だったように思う。

そこで驚いたのは、日本語で言うところの「いいね!」を表す台湾語「好(ハオ)!」よりも、「キレ〜イ」とか「スゴ〜イ!」という声の多さ。
異国の人たちがVRを観て感嘆の声をあげ、その後にサムズ・アップしてニコニコしながら帰っていく様を見ながら、この作品に関わらせて貰ったことに心から感謝したのです。

 

台湾から帰って20日ほどはアレンジや仕込みの作業に没頭したが、そのあとスグに、また1週間強の旅に出た。
その旅では、自分の歩んできた40数年を数年単位で小刻みに振り返るような体験と感激を多く味わうことになりました。

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最初に降り立った熊本・・・震災以降2度目になるが、熊本城公園内に鎮座される、加藤清正公を祀った加藤神社さんが「震災があったからこそ、市中の状況を神様に見ていただくべき(宮司談)」ということで例年通り清正公祭をご斎行されることになり、参加させていただいたのだが、本当に<神事>というに相応しい、厳粛で感動的な神輿渡御だった。

今回で6回目の参加になるが、光栄にも睦の会長さんからご指名いただいて宮出しの華棒を担がせていただき、まるで地元の人のようにNHKのニュースにもドアップで映されていた(笑)。
マイクを通した宮司の声・言葉にグッと胸が締め付けられ、道中は まだ残る崩壊した建物を見たり涙を拭う沿道の方たちを見て、何度も涙が溢れそうになるのを我慢していたのだが、直会(なおらい)終わりで担ぎ手の打ち上げの折にさせていただいた挨拶で、ついに涙腺が崩壊した。
東北、そして九州と、震災の話題になると 今でも色んな光景が浮かんできて、感情がコントロール出来なくなる。
そして、自分の無力感でいっぱいになる。

 

 

熊本で3日半ほどを過ごし、前夜や前々夜のアルコールが汗になってダラダラと流れるのをハンカチで何度も拭いながら、次なる地・広島へ。

すでに情報解禁になったが、2年半ほど前から準備して様々な方面の方たちのご協力のもと ようやく完成したアルバム作品のプロデューサーとして、在広の媒体ご担当さんと連日の打ち合わせ。
出会った頃はお互い駆け出しで、ただただ「一緒にいることがオモロい」という感覚だけで遊んでいた制作ディレクターたちも、15年強という時間の中で多くの素晴らしい作品が評価され、立派なディレクターになってる。
とは言え、会えば昔のままの距離感だし、飲めば なんだかんだと仕事の話で盛り上がるしなのだが、その一言ひと言の重みや言葉の的確さは、大いに刺激を受けた。

 

3日間強で述べ11番組7人のディレクター、5名の媒体担当と会い、そしてそのほかにも8件の打ち合わせをした。よくもまぁ こんなに多くの広島人と会ったもんである(笑)。

しかし不思議なモノで、30数年振りに会う人も、十数年ぶりに会う人も、そして5年ぶりくらいに会う人も1年ぶりの人も、あの頃と何も変わらない笑顔で手を挙げてくれる。
お互いにジジイ・ババアに片足を突っ込んだ年齢・見た目ではあっても、人と人の触れ合う温度は そうそう変わるもんじゃないのだろう。
そう感じられたことが本当に嬉しかった。

 

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最後の2夜は、墓参りも兼ねて地元に帰った。
2日間もゆっくり滞在するのは いつぐらいぶりだろうと考えてみたが、どうやら相当前のことらしく、全く思い出せない(苦笑)。

昨年に移植手術をした母親が、まだ本調子ではないだろうと思い、1泊は街なか(・・・といっても実家から車で10分ほどのところなのだが)のホテルに泊まることにしたのだが、あいにくスポーツの大きな大会が開催されてたようで どこも空きがなく、結局ウィークリー・マンションと謳ったところに泊まることになった。

カフェを併設するフロントで受付を済ませ、鍵を貰うと「では、ご案内します。ここから少し離れているので」と言われ、オーナーっぽいナリの人の車を付いていくと、見覚えのある細い道をどんどん進んで行く。
「あれ?このまま行ったら この先は確かラブホテルで、そこで行き止まりじゃなかったっけ?」と思いながらついて行くと、案内された先は、まんまと その<元・ラブホテル>(笑)。
17〜8の頃、10枚集めると1泊タダになるサービス券を集めていた、まさにソコだった(爆笑)。
翌日は実家に泊まり、母親のトンチンカンな愚痴をプリタツに聞かされw、そしてまた夜は同級生や後輩と飲み、昔 通学路だった、都内に比べたら かなり薄暗い道を歩いて帰る。
たった2日ほどで、40数年前から30年くらい前までの十数年間を イッキに駆け抜けた気がした。

 

しかし こうして会う人 会う人すべてが、自分にとって財産なのだと心から思う。
16の時に家出をして、それから約2年ほど衣食住すべての面倒をみてくれてた先輩と会った瞬間に向けてくれた笑顔にはヤラれた。
子供やダンナがいるにも関わらず、夜22時にオレが帰ってきてると知ってチャリで駆けつけてくれた同級生の喜んでくれる表情にもヤラれてしまった。
「んじゃ、また!」と言って別れれば、自分の帰る場所は あの元・ラブホテル、エントランスを入った途端にいきなり澱んだ空気に変わるアノ場所に帰るのもイヤで、このまま この時間がずっと続けばいいのにと願った(笑)。

トンチンカンな愚痴を永遠に息子に聞かせる天然な母親に産んで貰い、ある程度の自我が目覚めた頃から あの通学路を何千回も往復し、そして家を出て先輩の家に転がり込んでからオトナの世界を知り、地元を離れて また多くの出会いと別れを繰り返し、そのうちの たった1回の衝撃的な出会いを機に東京に出てきて 多くの業界の人たちと知り合い、キャンペーンで行った熊本で劇的な出会いをして そこからまた沢山の人と知り合い、・・・・・そんなことを本当に沢山思い出せた日々だった。

 

まだまだ続くね。いや、続けていかなければならないと思うし、続けていきたいと思う。
生きるって、生きていきながら誰かとまた出逢っていくって、めっちゃ刺激的な旅みたいなもんだ、と、こうして つい2週間ほど前のことを振り返っても、強くそう思うのです。

 

 

季節外れの花見

ここ数年、お花見という酒宴に全く縁が無いなぁ〜と、ふとそんなことを思った。

もちろん酒宴は嫌いじゃないし、お誘いがなかったということも無いのだが、満開の時期に都内にいないということが、ここ何年か続いていただけだったのだ。
当然、旅先では満開の桜を眺めたし、桜の花が咲き誇る様を眺められるお店で食事をしたことは何度かある。しかし「花見をした」イコール”皆でワイワイと飲んだ”であるからw、そう言い切れるようなものは何一つ無く、来年こそは満開の桜の下で 缶ビールくらいは飲んでみたいものだと熱望しているのです(笑)。

 

さて、あまりブログ上で作品の話を書くことは無いのですが、今日は少しだけ そんな話を。

3年ほど前に、代理店の方から連絡をいただき、深夜に とある都内の制作会社さんで打ち合わせがありました。事前に内容を全く聞いてなかったのですが、席に着くなり代理店さんから「コレを見てください」と手渡されたのは、アイマスクを大きくしたような、昔の水中メガネのようなゴーグル。

それを着けると、いきなり動画が始まりました。
360度、どこを見ても目の前のものが手で掴めそうなリアルさで、思わず大きな声が出てしまったくらい驚いたのです。

全てを見終わったとき、なんだかドッと疲れました。現実と仮想の区別が付かず、いきなり見せられたものに対する衝撃だけが残ったような感覚です。
すると代理店の方が「我々は、これからコレを作っていこうと思っています。おそらく数年後には話題になるコンテンツになっています」と。そして「我々とコレを一緒にやりませんか?」と言われ、またまた驚いたのでした。

が、お話を聞いている中で「なんらかの事情で旅行に行けない人や海外の人にも実際に現物を見たのと同じような映像を観て貰える」と仰ったのを聞いて、「ぜひ、やらせてください!」とお返事をしたのです。

 

どうせならお世話になった方々に一番に伝えたいと思い、翌年も翌々年も制作会社の方と全国を回り撮影に立ち会ってきました。
撮影されてるのを傍で見ながら、「こういうシーンは こういう音かなぁ」とか、「この風景はピアノで艶っぽく支えたいなぁ」などと、訪れた先で様々な回想を巡らせていたのですが、”Youtubeが360度対応”というニュースがリリースされた辺りから、周りがザワザワし始め、そして 最初にお話を聞いてから2年ほどで<VR(360度動画)>というコンテンツの普及と市場が あれよあれよと言う間に確立されていくのを、驚きながら見ていたのです。

もう今ではアチコチで見かけるようになったVRですが、私が関わらせていただいた作品(コンテンツ)がようやく発表され、その世界水準クオリティでの導入は全国の行政で初ということもあって、発表のあった昨日以降、かなりなスピードで色んなニュースが届き、喜んでいます。

作曲をしてくれた花*花のこじまいづみさんや、MIXをしてくださったformの森元さん、ストリングスを担当してくれた伊藤ハルトシさん・吉田篤貴さんのお陰で、素晴らしい作品になったと思ってますし、ナレーションを担当された声優の近藤 隆さんの声もドンピシャで、こんな素敵なコンテンツに編曲・RECディレクション・プレイヤーとして参加させて貰えたことをとても感謝しています。

無料のアプリをダウンロードすれば、スマートフォン・ユーザーの方ならご覧いただけるので、ぜひこの世界観を味わってみてください。
来年は・・・というか、これからはいつでも、缶ビールとVRビューアさえあれば花見が出来るなぁと、そんなことを企んでいます(笑)。

VR CRUISE

 

久しぶりにアルバムリリースのことで 渋谷にあるディストリビューター(流通会社)さんに某Pと伺いました。
なかなか元気のない音楽業界の中で、その会社は とっても活気があり、誰一人として”ダラダラ歩いてる”なんてことは無く、とても空気の良い会社で驚きました。

まだまだ こんな元気のある会社があるんだなぁと思い、「よし、また しっかり頑張ってみよう」と思ったのでした。
うん、まだまだヤれることイッパイあるなと。

そんな嬉しい出来事もありつつ、明日からVRコンテンツのリリースで制作関係者として海外で頑張ってきます!

がまだします!

家族同然の付き合いをさせて貰ってる心友と電話で話してた折、「震災で損壊した家から引っ越すことにしたが手が全然足り無い」と聞いた。
スケジュール帳を見る・・・・・よし、行けるかも!と、急遽 飛行機や宿泊の段取りをし、5日間を熊本で過ごしてきた。

翌日の早朝から作業がスタートしたのだけれど、地震で損壊した家屋は 雨のたびにバケツをひっくり返したような雨漏りをしていたらしく、床も畳もボロボロで 埃だらけ、おまけにダニまで大量発生していたものだから、すぐに両腕は赤い小さな斑点が数え切れ無いくらいできて痒みが止まらなくなった。
その上、初日から最終日までほぼ30度超えの毎日で、あまりの暑さに防塵マスクをしていると呼吸が苦しくて倒れそうになるくらい。汗は滝のように流れるし、耳元では蚊の羽音が絶えず鳴っている。
そして大量に積み込んだトラックを運転して産廃処理場まで何往復もしている間に日焼けで腕は真っ赤。連日12時間以上ずっと動きっぱなし、疲労感プリタツで宿舎に帰り、また朝になると現場に出かける、そんな毎日が帰京するまでずっと続いた。

作業開始から3日目の夕方、心友は ようやく新居でガスが使えるようになり、張り詰めていた緊張が少しだけ解れた。それまで毎日、ガスすらも使えない自宅で水風呂で体を洗う毎日だったことから考えると、大きな大きな進歩。
3LDKの一軒家から8帖のワンルームに引っ越すことにはなったけれど、それでもベッドで寝れて温かいシャワーも使える毎日が、どれだけ精神衛生上 良いことかというのは、現地を見ていない人にもご理解いただけると思う。
そんな状況の中でも 毎日 笑い続け、自分のことより他人のことを優先して取り組んでいたことに 心から尊敬の念を持った。

彼だけでなく、今回 熊本で会った多くの人たちから感じた熱量や前向きな気持ちからも、本当に多くのものを学ばせて貰いました。
ありがとう。

 

 

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帰京する数時間前、現在は立ち入り禁止区域に指定されている熊本城周辺に 特別に入らせていただいた。
テレビの画面で見てはいたが、実際に見ると、あの雄壮だった熊本城の天守閣や櫓・城壁が無残なまでに崩れ、しかし その状態にあっても必死に建っているように見えて切なくなった。
ある時期は、数ヶ月間 毎日のように行っていた熊本城や清正公を祀った加藤神社の思い出や 何もなかった頃の風景が浮かんできて、凝視できないほどだった。

突き抜けるような青い青い空と、損壊した熊本城の姿が、今でも目に焼き付いています。

 

 

今回の震災で大きな被害を受けた熊本、そして東日本大震災で甚大な被害を受けた女川町や石巻市など、これからも自分に出来ることで 長く関わり続けていきたいと思っています。

 

 

Seeds

年に何度か、ウチのポストには 花の種の入った袋が投函される。
最初のうちは「?」と不思議に思っていたのだが、ある日 斜め向かいに住むオッちゃんが「植えた?」と聞いてきたので そのオッちゃんが入れてくれてると分かり、時期をみてプランターに植えるようにしている。

このオッちゃん、下町の長屋の立ち並ぶ通りを 毎日必ず掃き掃除されている。
夏の暑い時に水を撒いたり、汚れや落ち葉に気づいたときはオレも玄関先を掃除するが、オッちゃんは雨の日以外ほぼ1年を通して、長屋の通りを綺麗に掃除しているのだから頭が下がる。
「物騒な世の中だからね、通りが汚いと悪いことも起きやすいしね」と、30メートルほどの通りを小一時間ほどかけて綺麗にするオッちゃんの箒の音が、いつもリズミカルに鳴っている。

 

さて、世間はGWだったが、その間ずっと作業場に引きこもって作業に没頭していた。
煙草を買いにタバコ屋まで行くか、コンビニに行く以外は、全くと言っていいほど外の空気を吸わず、ただひたすらPCの画面と鍵盤を前にして、なんとか良いフレーズを捻り出してやろうとモガいていた。

6月中旬すぎには おそらくプレス発表があるだろうが、国内でも最先端な技術を使った映像作品の音を作るというミッションをいただき、某アーティストさんが作った原型に 情感と艶を加えて形にしていく作業。
あと2日ほどすれば、レコーディング・スタジオでの作業になる。

そんなプログラムの作業に明け暮れていたGW中、人と会ったり話したりしたのは2人だけ(笑)。
煙草が切れたので買いに行こうと外に出ると、いつもの箒の音。
「この前も 種、入れてくれてましたね。植えましたよ。でも、なんかいつも頂いてばかりで申し訳ないなぁ」
と言うと
「ウチも貰ってくるんだよ。だから気にしなくていいよ」
と。

なんでも、オッちゃんのご家族が墓参りに行くと、毎回お寺で花の種をくれるんだそうだ。
”墓参りにいくと花の種をくれる”、なんて素敵なお寺さんだろうと思う。
そして その貰った種を、通りに建つ十数軒の中から 何故かウチのポストに投函するオッちゃん、なんだか不思議な流れ(笑)。

 
タバコ屋に行けば行ったで、「ノベルティも今からは無くなっていく時勢だし、煙草を買う人が少なくなっちゃってさぁ〜」と嘆くタバコ屋の親父の話を「へぇ〜、そうなんだ」と聞き役に徹して、さぁまた帰ったら頑張ろうと来た道を戻る。

ウチの前の通りでは、出たときと同じように、オッちゃんが 丁寧に通りを掃いている。

 

ここに越してきて もう5年ほどになるが、下町の穏やかな風景に触れながら、日々 あ〜でもない・こ〜でもないと、また音を鳴らしている。

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無題

多くの友人や、大変お世話になった方の住む熊本で大きな大きな地震があった。
これまで多くの地震に関するデータを持つ気象庁ですら「今後の展開が予測できない」と発表するほどのもので、被災された方のご苦労や不安は計り知れない。

今回の地震で亡くなられた方のご冥福と、今もなお続く避難生活をされてらっしゃる方々が 1日でも早く安堵の日を迎えられるようお祈りいたします。

 

5年前の東日本大震災のときもそうだが、大きな自然災害によって、予測不可能な多くの悲しいことが起こると、無力感でいっぱいになる。

今回の熊本で最初の大きな地震が発生したとき、オレは作業場で、これまでの自分のキャリアの中で一番手強いなと感じる作品を<混声合唱曲に編曲する>という最中だった。
大御所作家さんの作品に賭ける思いや力技を痛感し、そしてベテラン編曲家さんの抒情性に富んだ、計算され尽くしたアレンジに心を折られそうになりながらも、それでも今の自分の全てをぶつけてみようと もがきながら、ようやく自分でも納得のいくピアノが出来上がったので、夕方頃からずっと6声の仮歌を入れているときに そのニュースを知った。

すぐに熊本在住の友人知人の安否をFBメッセンジャーの無料通話で確認。
最近、少々SNSに疲れていたのだが、こういうとき、またSNSの便利さを知ることになる。
2時間ほどで全員と連絡が取れ、被害の大きさは聞いただけでも身震いしそうなものだったが、とにかく無事が確認できて胸をなでおろした。

それから数日間、停電でテレビが見れなかったりニュースを知ることのできない友人たちに、いつでも連絡できるようにと、朝方まで起きている状態が5日ほど続いたが、「自分がすべき目の前のことをきちんとやっていこう」と、なるべく普段通りに作業を続けた。
すぐにでも飛んでいき、何か少しでも出来ればと思ったのだが、都内に残った理由については また別の機会に。

 

あれから12日、なんとか作品が完成し、作家さんのOKをいただけた。
東日本大震災の被災地を訪れた際の風景を康 珍化さんが詩にされ、BOSSが曲を書かれた作品、《秋日傘》。

秋日傘ジャケ

作業中、毎分のようにメディアから流れてくる哀しいニュースや 数え切れないほど続く余震の続報、友人たちの日々の暮らしについての情報、何も役に立てない自分の無力さへの苛立ちや情けなさ、そして東日本大震災後に出逢った多くの人たちへの想い、それらひとつひとつを心の中でギュッと握りながら、想いのすべてを込めて編曲させていただいた作品になったと思う。

奇しくも、この作品を最初に歌われるのは、東日本大震災を経験した、宮城県にある、全校生徒16名のとある中学校の生徒さんたちである。

今、思いつく限りの、すべての人たちに幸あれ、と心から思う。

今年は現場で本当に多くの方たちと出逢うのだけど、その方たちの手を見てると、歩んでこられた道のりというか、その人の歴史や人となりが少しだけ見えるような気がするのです。

それがとっても好きで(笑)。

溶かした木蝋を素手で何度も塗られている匠の手、地域の活性や安全を祈願し何十年も柏手を打ってこられた宮司の手、指先までピンと張り詰めた気が漲る能楽のシテ方の手など、ここ数日だけでもこれまでに出会ったことの無いような素晴らしい方々の手を見させて貰った。

もちろん、普段の現場でご一緒させていただいてるエンジニアさんやミュージシャン、カメラマンさんなどのテクニカル・スタッフの方々の手や繊細な指先の動きも好きだし、料理店の板前さんの手も見てるだけでその人が食材と向き合う姿勢が分かるような気がするのです。

そういう方に出逢った夜は、自分の手を眺めて「まだまだだなぁ〜(苦笑)」と。

ヒヨっ子なりに頑張ります(笑)。

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潤う年

やはり29日しかない月というのは、1ヶ月が終わるのがとても早く感じる。
とは言え、今年は閏年。4年に1度しかないが1日多い。
昔はあまり深く考えたこともなかったのだが、暦の帳尻を合わせるために4年に一度、1日増やす・・・・・なんて素敵なシステムなんだろうと思う。

若かりし頃は、”帳尻を合わす”だとか”予定調和”のようなことが全く好きではなかった。もちろん、心のどこかに「仕方のないこと」だとは少しだけ理解できていても、その仕方のないことに流されてゆく自分が嫌いだったのだろうと、今振り返ると思う。

「誰がなんと言おうと、ワシは諦めませんけぇ」
そんな往生際の悪さで、おそらく多くのご関係者に迷惑をかけてきた。しかし、何回かに1回は、その諦めの悪さが功を奏して良い結果となったこともあったりして、勝手に自分の中でその”往生際の悪さ”を自分の持ち味のように勘違いしていた時代もあったように思う。

あれから十数年経って、上手く帳尻を合わせていくことの醍醐味を知った。
そりゃもちろん計画通りに事が運べば一番良いのだが、計画が大きくなればなるほど見えない部分や予想できないことも多くあり、たかだか一人の人間の意地なんぞ何の役にも立ちゃしないということが分かってくると、上手く帳尻を合わせられる人こそが本当にちゃんと仕事が出来ている人なのだと理解し、そして常に実践していきたいと考えるようになった。
”帳尻を合わせる”なんてカッコ悪いことじゃない、むしろ「デキる男のスキルとしては当たり前」という誰でもわかるようなことが理解できてなかった自分が恥ずかしい(苦笑)。

で、それが分かるようになったオレにとっての閏年。
帳尻を合わせるために1日を使うんじゃなくって、この1日を付け足すことで世の中の全ての人が不自由なく暮らせる。
なんて素敵なんだろう(笑)。
そんな仕事を、一生に一度くらいはしてみたいなぁと思うのです。

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さて、前回のブログにも書いたが、今月はあれからずっと ほぼ2日に一度のペースで外出し、都度いろんな方とお会いして、色んなお話をいただいたりした。
外出しない日は、ずっと作業場に篭って作品を作らせて貰ってるのだが、この1日ずつ交互に入れ替わるようなスタイルが、自分には合っているような気がして、毎日がとても大事だったり、与えられた時間が大袈裟ではなく愛おしくなったりもする。

自分の人生や、与えられたお役目に執着するというのは、こういうことを言うのかもしれない。
とにもかくにも、オレ自身が誰かに喜んでもらえる仕事をしていくことで、誰かの帳尻が合っていくのであれば、それは嬉しいなぁと心から思うのです。

心機一転

旧正月が明けたのを機に、ブログを此方で綴っていくことにしました。
以前のブログサイトで10年ほどお世話になってたのですが、今年は年初から「気分一新して、また新しいスタートを切りたい」という想いが強く、それならブログも引越しして真っサラな環境で書いていこうと思いまして(笑)。

さて、2月に入って もう1週間以上が経ちましたが、日々新しいプログラムと格闘しながら2日に1度は打ち合わせや会食で外出しています。
わりと暖かい日もありますが、まだまだ寒い日のほうが多くマフラーやマスクが手放せず、寒い寒いと背中を丸めて歩きながら「いや、姿勢が悪いのはイカン!」とキュッと胸を張って姿勢を正すように心がけています。
歩くときだけでなく、作品や企画に対する姿勢も常に正しくありたいなぁ(なかなか難しいことですがw)と、今年は特に心に強く念じて様々な方々と色んなことを進めていけたらと思うのです。

ブログが変わったから、環境が少し変化したから、といってオレのやるべきことは全く変わりませんし、ただただ、真摯に作品や人と向き合っていくことしか出来ませんが、また此方でもどうか宜しくお願いします。

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写真は、以前に 心友Tが連れていってくれた、九州の山の中にある”知る人ぞ知る”(と言われているらしいw) 地鶏料理屋さんで、コースの最後に出てきた握り飯。
この器も料理もすべて、ここのオーナーさんがお一人で作られているらしいのですが、シンプルな中に素朴で優しい味わいがあり、それでいて力強く堂々としているなぁと とても感激し、この握り飯のお陰かどうか分かりませんが、Tに色んなことを話せた想い出の一品です。

自分が作る作品も、こうありたいと、そのお手本のような佇まい。
もちろん、お味のほうもグンバツだったのでした!