気力と体力


  どこまで続くか分からないけど、ふと「気づいた時に短い文章を書いて”下書き保存”しとけばいいんじ
 ゃね?」と思いついたので、少しずつ書き溜める方法を試してみることにする。(脚本家の足立 紳さん
 のコラムをお手本にさせていただいた)
  今年初めてBlogを更新した際に『いくら何でも1年振りってのは無いよなぁ…』と少々反省したから
 だ。
  しかし反省したからといって小マメにBlogの更新など簡単に出来るモンではない。
  <忘れられた頃に更新する>というのもBlogの醍醐味だと思うことにする。



 1月11日 月曜日
  緊急事態宣言の真っ只中だけど成人の日だ。
  殆どの自治体で式典が取りやめになってるが、それでも強硬に実施しているところもあるらしい。
  「感染が拡がったらどうするんだ?家族に高齢者のいる新成人もいるだろう。クラスターが起きて誰か
 亡くなったら誰が責任取るんだ?」という意見もSNS上にあった。
  そうだ!そうだ!と思いつつ、でももし自分が老人で、孫が新成人で、何年も前から振袖や着物を買っ
 てやってたのに式典が取りやめになったらどんな気持ちになるだろう?とふと思った。
  「おぅ、ワシら重症化する可能性がめっちゃ高いけぇ、無くなって良かったよ」と言うか?絶対に言わ
 ない。
  「残念じゃのぅ。式典が無いなら家でお母さんに着付けして貰うて家族で写真撮ろうや。それでエエじ
 ゃないか」って言うか?絶対にそんなクソみたいな慰めは言わないだろうな。
  「成人式ぐらいやっちゃれぇや!一生に1回じゃないか。出席した人間に誓約書を書かすとか、何かや
 り方は無いんか?自分らの時は成人式に出て大騒ぎしたくせに」ぐらいの悪態は最低でも吐くと思う。

  自分の成人式の時を振り返ってみた。
  朝まで仕事して、家に帰ってシャワー浴びて、ド派手なシャツ、足の甲が引っかかるくらい裾の絞られ
 た別珍スーツ、貝塚の地層ぐらい革を重ねまくったスウェードの靴・・・など上から下までFicceでバチバ
 チにキメて、”写真を撮るから1回帰って来い”と何度もお袋が電話してきてたので「うっさいのぅ…」と言
 いつつ実家に寄ってから同じ職場で働いてたツレに迎えに来て貰って式典の会場へ。
  駐車場に車を停めて「一服してから行くか」と煙草に火をつけたところまでは記憶にあるのだけど、そ
 のまま寝落ちw。目が覚めたら式典の片付けをしてるとこだった。

  そんな訳で、オレ自身も成人式の式典には参加したことがない。
  でも、DCブランドのロゴがデカデカと入ったガーメントバッグからピカピカのスーツを出し、袖を通
 し、意気揚々と会場に向かった思い出があるからこうして思い出せる。
  「感染が拡がるからずっと自宅で大人しくしてろ。家族とであってもメシも外に食いに行くな」だと切
 ない思い出しか残らないんじゃないか?それはちょっとあんまりじゃないか?成人式を祝ってないのにこ
 れから納税だけはキッチリさせるのか?「そうだ!式典を取りやめた代わりに、新成人は2年間の納税義
 務ナシ!とかいいんじゃないの?」などとウダウダ考えながらステイ・アット・ホームで筋トレしてた
 ら、体のアチコチが痛くなってきた。
  明日はきっと筋肉痛だ。。。


 1月13日 水曜日
  年末年始の、気持ちと時間に余裕があるうちに、作業環境をちょこちょこイジったり、機材のメンテナ
 ンスをしたりしている。
  いつもお願いしているエンジニアの森元さんに紹介して貰って、カレントさんのPOWERDAMという電
 源供給速度と密度をブーストする製品を導入したのだけど、その威力に惚れ込んでしまい、今ではあちこ
 ちでPOWERDAM教の布教活動までしたりしているw。
  <解像度が上がる>とかいう単純なものではなく、音像もハッキリするし耳の焦点も変わるので、ずっ
 と聴いていても疲れにくい。
  電源ケーブルはアコリバの別注品なのだが「POWERDAMとケーブルだけでココまで音が変わる!?」
 と驚くぐらい変わった。
  世界的にソフトウェアはどんどん進化しているけど、まさかハードウェア、それも電源ってとこでこれ
 ほどの革命が起きるとは・・・やっぱ日本人の目のつけどころと技術力はスゲェな、ハンパないな、と思
 う。

  POWERDAMだけでなく、幾つか新しい機材を導入して音環境がアップしたので、新しい環境に慣れよ
 うとしてるところだけど、あれもこれも欲しくなって沼にハマらないうちにサッサと作業を始めないとダ
 メだな(笑)。


  1月17日 日曜日
   阪神・淡路大震災から26年が経った。
   今でもこの日が近づくと、スーパーカブの後ろに乗って山道を登る途中に見えた真っ黒い煙や、ワンフ
  ロアが映画のセットのように潰れたデパート、そしてこの世の終わりみたいにグニャリと曲がった高架の
  脚部がハッキリとカラーで蘇ってくる。
   震災後に初めて水が出た時に、地元の人と抱き合って泣いたことや元町で最後まで傾いたままだったビ
  ルが解体される時のことなども鮮明に蘇ってくる。
   震災から十数時間後に神戸入りしたオレですらこんなだから、ご家族やご友人など大切な人を亡くされ
  た方にとってこの日に蘇る悲しみは計り知れない。

   今年も例年同様に朝まで起きていて、そして黙祷し、それからベッドに入った。
   夜通し起きておくということが年々ツラくなってきてるのだけど、出来るとこまでやってみようと思
  う。
   その前に早く目が覚めるようになるのが先かもしれないけどw。


  1月18日 月曜日
   昨年あたりから急に体力の衰えが気になり始めたので、病院に行って相談してみることにした。
   今でも週3回の筋トレと毎朝25分のストレッチは欠かしてないのだが、なかなか2テツ(徹夜2日目)とか
  になると体力が厳しくなってきたし、ボクシングや筋トレをしても以前のように筋肉がパンプしにくく
  なってきたような気もして、そういうの全てをひっくるめて ”廊下” ・・・いや間違った『老化』と言う
  のだろうけど、それに慣れてしまうよりは抗ってやろう!と決めた。

   劇伴のスタジオ作業も、こうしてやり続けてみると感じるのだが、やっぱり気力と体力勝負だと思
  う。
   曲数も少なくないので、1日に入れ替わり立ち代わり色んな演奏家の方がスタジオ・インされる。
   「この話、今日はもう4回ぐらいしてるな…」と思うくらい何度も同じ説明をしなければならないこと
  もあって、でも同じ熱量で伝えなければ大変なことになるので、一生懸命に説明している。(だんだん
  話が大きくなることもあるw)
   何かにつけて便利な世の中なので、「動画を撮ってソレを観て貰ってから録り始めてもいいんじゃな
  い?」とか思ったりもするけど、その動画を撮ることやソレをまた編集したり観せる環境にすることの
  方が数倍メンドくさくなるような気もして、干からびたオウムのように同じセリフを1日に何度も喋っ
  ている。
   (ソレを側で見ているエンジニアは「こいつ、同じことばっかり何回も喋ってんなぁ」ときっと思っ
  ているはず)

   演奏家の方には申し訳ないが、正直そんな何回も同じことを喋っていると疲れてくる(笑)。
   昔はそんなこと思ったことも感じたことも無かったので、「ヤバいな、オレ体力も気力も落ちてる
  わ」と思い、そんな自分にまた疲れる。
   そんな「スタジオあるある」(無いわっ)な繰り返しを経て、ついに専門家に相談してみようと思
  ったのだ。

   ・・・待合で1時間も待たされた。
   自分以外に40人くらい待ってる人がいたが、全員が高齢者。
   話してる内容もよく分からない(笑)。
   そんな中に1時間もいると、「オレ、こんな時間にこんなトコで何やってんだろう?」と、己の体
  の衰えそっちのけで反省し始めるから不思議だ。

   ようやく診察室に通され、診察や血液検査が終わり、お会計を済ませて車に乗った瞬間に出た言葉
  が「うぅ・・疲れた…」だった。
   やっぱ気力も体力も衰えてる(苦笑)。

ジムに行くのも億劫な性格なので、自宅でトレーニングやってます(笑)。


自分の土俵

 コロナ禍で社会全体が深刻な状況が続いていますが、2021年明けましておめでとうございます。

 もうすっかり松の内も明けてしまい、寒さもかなり厳しくなっていますが、今年もどうか宜しくお願いいたします。(Blogを書くのが1年ぶりなことにめっちゃ驚いてます:汗)


 新手のウイルスが海の向こうから伝染してきて、1年近くが経とうとしていますが、そんな状況の中で昨年は春先から年末ギリギリまで色々な作品に関わらせていただきました。
 2020年が明けた頃はかなりゆっくりなスケジュールだったのが、土の下から土筆や蕗の薹が顔を覗かせる時期くらいから幾つもお仕事の連絡をいただき、夏が終わる頃には「こりゃスタミナ勝負じゃのぅ…」と思いつつ自分のスタミナの無さに自己嫌悪になったりもしました(苦笑)。


 今年も、例年と同じく、まだ全然ゆっくりなスケジュールですが、まずは健康管理をしっかりとして、長丁場を程よい緊張感を持って仕事を進めていける『心と体づくり』をしつつ、作業環境もより良くなる様に整えていきたいと思っています。


 今年引いたおみくじにデカデカと書いてあった言葉が、”先人の土俵より自分の土俵で戦うこと”。
 この意味をしっかりと考えながら、また今年1年、一人でも多くの方に喜んで貰える作品が作っていける様、しっかりと精進します。

寒中お見舞い申し上げます

傷めた右腕を 三角巾で肩から吊ったり抜いたりしながら年末進行のTVCM楽曲を完パケして、バタバタと絶対に外せない忘年会に2つほど顔を出したら もう大掃除、そして大晦日、正月・・・と、オレの2019年から2020年は あっという間に過ぎていった。

関東では今日で松の内が明け、作業場兼自宅にしているこの下町一帯も、小雨が降る中 正月飾りを外す近所のオッちゃん&オバちゃんの声で朝から少しだけ賑やか。

 

オリンピック・イヤーである今年、日本中が賑やかな1年になるだろうが、自分にとってこの1年がどんな年になるんだろう?と緊張&期待 両方の気持ちで迎えた令和2年。
ようやく三角巾の取れた右手でマウスを動かし、寒中お見舞いの葉書デザインも完成(遅いw)、そして例年より少し早く1月4日から作業場に入りました。

 

一人でも多くの人に喜んでもらえるように、そして一人でも多くの人が笑顔になれる仕事ができるように、また新しい1年も必死のパッチで泥臭く頑張っていきたいと思っています。

 

寒中お見舞い申し上げます!

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年末に人形町のバアちゃんの店で購入した江戸前ハゼの甘露煮(佃煮)。
残念ながら子持ちは1尾も無かったけど、これくらい立派な型を頭から齧って日本酒をひと啜り。

 

challenge

まだ地元で仕事をしていた頃(28くらい?)まで続けていたボクシングを「もう1回やってみよう」と去年ふいに思い立った。

 

年齢を重ねるごとに、闘争心が減ったというか、物事の何に対しても昔ほどのガツガツさが減ったような気がして、それと一緒に、言葉にするのは なかなか難しいのだが 自分の中の”滾り”のようなものの分泌まで減ってしまってるような気がしたからだ。

20代や30代、40代前半の頃までは、なんでも物事の先頭に立って 火矢だろうが壁だろうが蹴散らして進んでやる!的なタイプだったのだが、仕事の各案件の成り立ちや座組がしっかりしたものが多くなるにつれて、指示やジャッジメントを待つということも増え、グッと己の中でメラメラとした炎は燃やし続けているが、ブワッと頭のテッペンまで焦げるような勢いのある炎(スーパーサイヤ人的なw)が最後に出たのはいつだっけ?くらいな感覚の自分に、少しガッカリした瞬間もあって。。。

 

やる!と決めたら即・行動。
元々が地元の国体代表選手やアジア大会代表選手などを育成するアマチュアボクシングのクラブ(その後 プロの世界チャンピオンも出たりした)でスパーリング大会や公式戦などにも出場させて貰ってたくらい しっかりと基礎から叩き込んでいただいてたので、やるなら もう一度基本から!と思って、そんな自分に合うジムを探した。

そして運良くというか、良いクラブに巡り会え、己のだらしなくなった身体に嫌気がさすほど 何度も酸欠やゲロを吐きそうになったりしながら1年・・・少しだけ身体が動くようになってきた。

 

そうなると人間は やはり欲のカタマリで(笑)、「もっと動けるようになりたい」と毎朝25分ほどのストレッチは どんなことがあろうと欠かさなくなり、時間があるときは ランニングやサーキットトレーニングもするようになり、「よし!試合出よう!」と。

 

 

実は 少し前、試合に出ようとして ずっとトレーニングしてたのだけど、先日の超巨大台風のために試合自体がなくなりまして。。。
代わりに、同じクラブの仲の良い選手が初めて出場する(デビュー戦)別の試合の応援に行ったのでした。

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S選手、格上の相手に大健闘で判定勝ち。

 

いつか身体が滾るような試合をしたら、そのときは またココに書きます。

 

 

 

ほどほど・・・に

 

少しご無沙汰してる気持ちだったのだけど、気付けば夏が終わってました(苦笑)。

 

今年は 人生のハーフを折り返した気分になって、まずは若僧気分から脱却していかねばと、一つ一つのことに自分なりの拘りを持っていけるよう やらせて貰ってる。
小僧でいられるなら、それが一番ラクではあるのだけどw、責任感や やりがいだけじゃない”何か”を、一つ一つのことに込めていかねばと思ってトライしている。

 
自分の普段の生活・・・身の周りのことなども 「出来るだけ自分でやろう」と やり始めて もうすぐ半年ほどになる。もちろん制作でテンパっているときなどは、どうしても後回しにはなってしまうのだが、それでも「自分の手の届く範囲のことは なるべく自分でやってみる」という思いは いつもある。

 

誰かに作って貰う食事も、コンビニや持ち帰りで買ってくるメシも、作業をしていると どうしても ”腹を満たせば良い”ことが 主になってしまうことも少なくないのだが、ちょっとでも時間があったり気分転換したいときなどは、包丁を握って自分が食べたいものを作ってみようと思えるようになった。

 

 

少し前に「あ!アレが食べたい!」と思って作った<肉玉ライス>。

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テレビでも紹介されたらしいのだが、元々は地元のアタマの悪いコ(高校生)たちが好んで食べていた逸品。
どんぶりによそった白米の上に、削り節や旅行の友(ふりかけ)・お好みソース・マヨネーズをかけ、その上に塩胡椒で焼いたペラペラの豚肉を山ほど載せる。
そして目玉焼きを重ねて 青のりをかけて出来上がりなのだが、食べ方としては もうひと手間ある。

 
これを まずグシャグシャに崩して混ぜる(笑)。
そうすることによって、どんぶりの中に具や調味料が均等に行き渡るのだ。
見た目は超悪い(爆笑)。
でも、味はハンパなく美味いし、ガッツリと胃袋が満たされ、脳の中枢にも『アンタぁ肉玉ライス食べたんよ!』と しっかり記憶が刻まれる。

 

食べている間は必死だが、食べ終わると「腹減って、授業サボって食いに行ってたなぁ」とか、「◯◯の単車の後ろに乗って行ったなぁ」など当時の記憶が蘇る。

そう、昼時まで待てない頭の悪い人たち(オレ含む)が、週に何度も、そして何年も続けて食った想い出の味なのです。

 

 

 

こうして 最近は 色んな想い出の味なども作って、ひとときの気分転換を楽しめるようにはなったのだけど、作ってると「こんな甘ったるい感じじゃなかったのぅ」とか「お!こっちの方があの店の味に近いわ」とかで、実は、今 ウチのキッチンには、お好みソースだけで3メーカー5銘柄もあったりする(苦笑)。

 
拘ったり、味の再現に挑戦しようという気持ちも ”ほどほど” にしなければいけないのかもしれない(笑)。

 

 

 

我要加油!(22th SIFF)

着陸準備をする機体が、薄曇った空の中へ高度を下げていく。
背の高いビルとビルの間に ゴチャゴチャした家々がたくさん並び、アジア感が増してくるのを見て、「いよいよだ!」という気持ちが昂ってくる。

 

 

ちょうど1年前、作品や監督に対して ”挑む”という言い方が妥当なくらい 毎日 朝から朝方まで曲作りに明け暮れていた頃、「あなたたち音楽を書いてる人たちこそ、絶対に海外の映画祭に行って、現地で色んな映画関係者と話をした方が良いんだ」と、 ウチのリビングで打ち合わせしていた 武監督に言われた。

”でもオレ、英語も我流ですし、そのほかの言葉もカタコトくらいですよ” というと「私だって そんな感じですよ。でも一生懸命に喋ってたら なんとかなるんですよ。気合いで!」と(笑)。

そのときは、”そうかぁ、行ったほうがイイのか。よし!忘れずに覚えておこう” と思ってたくらいだったのだけど、1ヶ月ほど前に 久しぶりにお会いした制作プロデューサーから『上海、決まったみたいですよ』と伝えられたので、”・・・実はオレ、武さんに以前「この作品は海外の映画祭でも上映されるかもしれないから、その時は必ず現地に行った方が良い」って言われてたんですよねぇ…” というと、「そうなんですか! 武さんから そんな課題をもらってるんだったら 絶対に行くべきですよ。行くときっと良い経験になると思いますよ。あとで日程をメールで送っときますから」・・・あぁ、オレって 武監督に言われたあの日から 行くべきな運命だったんだなと 深く悟ったのでした。

 

 

実は 上海には20代の終わり頃に 何度か訪れたり、少し長めに滞在したこともあったのだけど、そんなに良いイメージではなかったので(上海の皆さん、ごめん!)、それ以来 訪れることは無く、もっと言うと「もう行かなくていいかな…」的な都市リストに勝手に入っていた。

しかし”行く”と決めたらハナシは別。
色んな方々のお力を借りて、ついに上海に上陸!!!

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今回 滞在したのは <徐家匯> という 都内で言うところの青山みたいな商業区。
昼も夜も賑やかで人通りもハンパなく多い。
このエリアに会場となる大きな劇場が2つもあり、ここの隣の駅から5分くらいのところにメイン会場もある。
・・・・・と、ここまで書いて気が付いたのだが、今回の目的を ちゃんと書いてなかった(失敬)!

 

この春 公開になった映画『きばいやんせ!私』が、上海国際映画祭のパノラマ部門 正式出品作品(非コンペティション)として上映されることになったのです。

上海国際映画祭は、アジアで最大の映画祭であり、世界から新旧合わせて500作品が上映されるのですが、その中でもパノラマ部門は日本から3作品しか選ばれておらず、かなり凄いこと(らしいの)です。

そんな栄誉ある映画祭のチャンス、しっかり味わっておかないと!(笑)

 

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朝から色んな会場を回ったり 事務局に行ったりしてるうちに「おぉ〜!映画祭っ!」な気分が どんどん膨らんできて、しっかりと心も装備も準備をして、夕方から上映される劇場へ。

 

上映35分前くらいに着いたのですが、お客さんは まばら・・・おそらく6〜7人しかいなかったんじゃないのかなぁ。
「日本映画だし、こんなモンなのかなぁ。。。」と思ってたのですが、入場が始まると どこからこれだけの人が湧いてきたの?ってくらいな人、人、人!!!

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アガる気持ちを抑えて 冷静に入場者数を数えてたのですが、200人近い人が場内をパンパンに埋めて、その時を今かいまかと待ってくれてる感じ。その上、まだ どんどんお客さんが入ってくる。(上海時間、恐るべし!:笑)

 

それが・・・・・配給会社のサウンドロゴが鳴ると 急に静かになり、そして 何か期待感みたいな熱が会場に拡がり始めてるのがハッキリ分かる。

 

そして…

本篇中の感性や 大きな笑い声、

演じている俳優さんへの「挺住!」という激励の大きな声、

本篇が終わったときに ブワッと湧き上がった拍手、

エンドロールが終わったあとの、長い拍手、

 

もう涙腺崩壊寸前。

 

 

 

 

 

 

 

上映後には「監督ですか?」とか「プロデューサー?」と多くの一般のお客さんから声をかけられ、”音楽屋です。”と伝えると、「おぉ!音楽!!何回も感動しました」とか「ギターの音に涙が出た」など 沢山の嬉しい言葉をいただきました。

 
この経験、そして上海のお客さんの熱量を、おそらく一生忘れることはないと思います。

 

会場となったSFC Cinema World HALL 1 は 映像の質も 音の環境も とても良かったです。
他会場含め スタッフの方々にも とても親切にしていただきました。謝々。

 

 

さて、武さんからいただいた 『最後の課題』を無事に終えることが出来ましたが、”また この場に来たい!”  と心から思ったし、リベンジしたいことも出来ました。

 

ありがとう上海。
そして  第22回 上海国際映画祭、上海のお客さん、ご助力くださった本作プロデューサーの皆さま、SIFF事務局 Room504の皆さん、ご関係各位、大謝!!

 

必ず、また来ます!

 

#上海国際映画祭 #22thSIFF #我要加油 #武正晴 #SFC上影影城 #ありがとう上海

 

時代を超えて歌い続けられる名曲

リーグ4連覇のかかった今年のカープは、開幕から他チームに完膚なきまでにヤラれる日々が続いた。
開幕戦こそ完封勝ちしたものの、その後の12試合の成績を合計すると<32-75>というダブルスコア以上の負け方で、中には「0-9」「1-10」「3-15」という 高校野球の地区予選ならコールド負けのような不甲斐ないゲームすらあった。

在京のニュースなどでも この異常事態を報じていたくらいだから、地元・広島の新聞紙面などは かなりなものだっただろうし、お好み焼き屋や居酒屋などでは毎夜 くだを巻くカープファンが さぞ多かっただろうなと思う。

 

しかし、その後 少しずつではあるが しっかりと立て直し、ここ数試合ではあるが4連勝、それも”勝ち方を知っているチーム”らしい勝ち方をしている。
勝負事の歯車は、一度ズレると泥沼にハマるまで崩れてしまうが、それが何かの拍子にガチッと噛み合うと こんなにスムースに勝てるものなのかと驚くくらい 今や『強いカープ』である。

 

 

そんなカープ連勝ニュースの陰から そっと顔を出すように、有馬 三重子さんのお名前がネットニュースに掲載された。

 

作詞家・有馬三恵子さんと聞いて、それでスグにピンとくる方は多くないかもしれない。
でも《それ行けカープ〜若き鯉たち〜》や《勝て勝てカープ》と聞けば、カープファンで知らない者はいないと思う。

1975年の初優勝した年に発売されたレコード《それ行けカープ〜若き鯉たち〜(B面 / 勝て勝てカープ)》は、中国地方だけで30万枚を超えるセールスを記録し、初優勝後には<ヴィクトリー・カープ>も発売された。
これらの作品は、すべて 有馬三恵子さんと作曲家・宮崎尚志さんのコンビによるもの。

 

そんな有馬三恵子さんの代表曲として一番に挙げられるのが<小指の思い出>なのだが、オレがおそらく物心ついて最初に聴いた歌が 《それ行けカープ》、そして次に聴いた歌がコレだったと思う。(発売から考えると順序は逆なはずだが、そこは広島県民なので・・・笑)

https://youtu.be/g4DcV-vfhY4  南 沙織 / 17才

 

この歌は、その後 森昌子さんや桜田淳子さんがカバーされ、アルバムに収録されたのだが、発表から18年経った89年に森高千里さんのシングル曲として再度 注目された。
(このシングル「17才」のc/wが なぜ<20才>という曲だったのは謎なのだけど)

そして2008年に銀杏BOYZがカバーしたり、最近でもアイドルグループがカバーしたりと、47年間に渡って多くのアーティストやリスナーに愛されてきた歌。

 

そんな時代を超えて歌われ・愛され続ける名曲を数多く世に出されてきた有馬さんだが、2019年シーズン、なかなか不甲斐ない試合ばかりだったカープが ようやくまとまってきて、連勝し始めた矢先に お亡くなりになられた。

 

カープが25年ぶりにリーグ優勝した2016年の1年前、まだBクラスだったが黒田投手がヤンキースから広島に帰ってこられた際に「オレらも 何か応援できないかな」とカープファンの音楽プロデューサーやエンジニアと CarpLovers+(カープラヴァーズプラス)というユニットで カープ応援歌のピアノカバー曲制作に着手した頃から 有馬先生や宮崎先生の歴史を一層 深く知ることになり、このユニットで作ったアルバム【CARP SOURCE〜ジャズピ味〜】がビルボード国内チャートのTop10入りしたり、大手通販サイトのランキングでも3部門で1位にならせていただいたことなどから 続編の制作もすることになり、計二枚のアルバムで 有馬先生・宮崎先生コンビの作品を大変多くカバーさせていただいた。

代表曲でもある《それ行けカープ〜若き鯉たち〜》は、<Love CARP ver.>としてオレ自身も
ガッツリと編曲させていただいている。
https://www.amazon.co.jp/それ行けカープ-Love-Carp-ver/dp/B0778Z4HBP
(このver.は、在広のスポーツ番組やカープ報道などで本当に沢山 BGMとして使っていただき、現在も使っていただいてるそうで、在広局の皆さまには感謝しかないです)

 
千葉の方にお住まいで、でも マツダスタジアムにも足を運ばれて応援されているということは 人づてに聞いていたが、出版社経由でご承諾や許諾をいただいていたので、とうとう最後まで手渡しでアルバムをお渡しすることが出来なかったのだが、毎回 快くご快諾くださり、いつかお会いしたら ちゃんとお礼を言わねばと思っていただけに、有馬先生のご訃報は残念でならない。

明日で生まれてきてから50年、丈夫に産んでくれた親には もちろん感謝しているが、小学校1年生だったクソガキが赤いキャップを被り、滑り台の上で「カープ♪ カープ♪」と口ずさんでからの40年以上、まさか自分が将来 先生の楽曲を触らせてもらうことになるとは思ってもいなかった。本当に感謝しているのです。

 

有馬先生、
先生の書かれた詞、描かれた光景は、これからも広島の人たちの心に、そして広島の街にずっと流れていくと思います。
そして また、CarpLovers+として、大事に大事にカバーさせていただきたいと思っています。

ご冥福を心からお祈りいたします。

 

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いつのまにか満開になってた桜に気づき、かき醤油味の付いた広島のりを巻いたのと [旅行の友] をまぶした 朝メシ代わりの握り飯を持って隅田川沿いへ出かけた。
新しい元号が発表になるという前日だからか、やはり花見シーズンだからなのか、例年にも増して賑やかな川沿いの桜の根元に腰をおろした瞬間、ようやく<3月>から解放され、少しだけ背負っていたものを降ろせたような気になれた。

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昨年1年間のほぼ毎日 ずっと向き合わせてもらっていた映画の公開に合わせて、熊本と広島の舞台挨拶に監督や役者さんらと同行させていただいた。
色々なご縁をいただいている熊本だが、初めてお邪魔した立派な劇場では大変手厚いおもてなしを受け、上映後に劇場に入ると 見知った顔も多かったのだが、その殆どの方の眼から涙が溢れているのを見て 心から有難く思った。

広島の劇場は公開3日目だったが 満員で、万雷の拍手の中で舞台挨拶が行われ、その熱量が上映中に どのように変わっていくのか どうしても見たくて、劇場の方に無理を言って席をご用意いただき、来場されてたお客さんと一緒に観させていただいたのだが、エンディング・ロールが流れ始めたあたりで 隣にいらっしゃった俳優の眼 鏡太郎さんは声をあげて泣いてらっしゃった。
約1ヶ月間、南大隅町で合宿生活のような撮影を経て、こうして超満員のお客さんの熱を目の当たりにしたことで その感激も一入、”冥利に尽きる”とは こういうことなんだとお感じになられたらしい。
[ カメラを止めるな] など、ヒット作品にも多くご出演されてる 脂のノった役者さんだが、そんな人ですら感激してしまうほどの劇場内の熱量を感じれたことは オレ自身にとって とても大事な経験になった。
眼さんのお陰で オレは泣くタイミングを完全に外してしまったが (笑)、眼さんの涙は とっても綺麗な、そして責任感のある涙だった。

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都内に戻り、2週間ほど籠ってデモを仕上げてからは ひたすら採譜の日々が続いた。
2年ぶりとなる【ザギンdeユーミン】が銀座TACTという由緒あるライヴハウスで開催されることになり、十数曲の上モノの音を拾ってはリアレンジしていく・・・という作業は 一朝一夕・右から左に出来るような簡単なことではない。
が、細野晴臣さん・松任谷正隆さん・佐藤博さんらが40年前に組み上げられた編曲のイメージをトレースさせていただける機会なんて そうそう無い。
なかなか大変な作業だったし 本番前日に使う予定だったシンセが いきなりブッ壊れ、BANKデータなど全てフッ飛んでしまうという頭真っ白・衝撃的なこともあったが、ライヴは超満員、とても楽しくやらせていただいた。

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Photo by Tokiya Utanaga

 

「3月もあと5日ほどで終わる、残りの日々は 作業場の片付けなどもしながら 少しゆっくりして新年度に臨もう」と思っていた矢先、療養中だった知人の訃報が入った。
46歳、まだまだ これからが人生本番という中で、ご本人も頑張ってらっしゃったのだが、容体が急変して そのままお亡くなりになった。

月に一度 プレイさせていただいてた渋谷のクラブのキッチン・チーフだったのだが、彼女の作るフードは 何を食べても美味く、そして目立たないように手の込んだ料理を作る名シェフだった。
どセンターにヴォーカルがいて、オケの出入り・パンの振り方などの定位感が とってもよくまとまってる音を聴いてるような、・・・そんな音楽的な料理を作れる数少ない人だなぁという印象をオレは持ってた。
ご主人もDJだからか、選曲や繋ぎにも非常に敏感で、プレイを終えてバーカウンターに行くと キッチンから出てきて「サイコ〜」とサムズ・アップしてくれた日にゃ、嬉しくなって その後のオレの酒量は自然と増えるのも当たり前w、今でも”亡くなられた”という気がしない。

 

でも、・・・でも、隅田川沿いにしゃがんで 握り飯を片手に キラキラ光る水面を見てたら ふと「桜の時期になると彼女のことを思い出すようになるんだろうな」と、思った。

 

 

なんだか 色んなことがあった3月が終わった。

 

平成という時代が終わろうとする間際に、いろんなものを背負わせていただいたような気がする。
喜びや悲しみ、腹の底でグッと抑えた怒りや どう感情で表現すれば良いのか分からないようなこともあった。そして、色々な”表情”もたくさん見せていただいた。
この1ヶ月に感じたり見たりしたことだけでも、自分自身の情緒が随分と豊かに・幅広になるのではないかと意識してしまうくらい。
色んな意味で 豊かな日々を過ごさせて貰ったのだと思う。

 
さて、己に出来ることを精一杯、そして出来るか出来ないかスグには判断できないような高いハードル越えもガムシャラに、
ここから またギアを1段階も2段階もあげて、もっともっと強く進んでいきたいなと思うのです。

 

新たな時代の幕開け、令和元年も どうか宜しくお願いします。

 

 

 

 

映画『きばいやんせ!私』3月9日公開です。

3月9日に公開になる映画『きばいやんせ!私(武 正晴 監督・足立 紳 脚本 / 主演:夏帆・太賀)の音楽を書かせていただいてます。

http://kibaiyanse.net

 

九州最南端の鹿児島県南大隅町の豊かな自然を舞台に、不倫騒ぎで人生のどん底に落とされた主人公・貴子(夏帆)が取材対象である伝統的な祭りの復活を通して、 仕事との向き合い方や生き方を見つめ直し 自分の人生にも輝きを取り戻そうと奮闘する「笑いと涙の復活劇」。

楽しくて、どこか懐かしさもあって、牧歌的で、少し弾けてて、でもしっかりとした味わいのある素敵な作品です。

ぜひ劇場でご覧いただきたい作品です。
3月9日ロードショー、どうか宜しくお願いいたします。

 

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オレも君も新たなスタート

 

新年明けましておめでとうございます。

今年は三が日だけ しっかりダラダラして、4日からジョギングや筋トレをスタートしたのですが、5日の午後から発熱しまして(苦笑)。
・・・もはや正月に体調を崩すのが定番になってきています(笑)。

 

さて、先日は成人の日でしたね。
新成人の皆さま、おめでとうございます。

全国各地で成人式が始まる数時間前、前日の京都から大移動して 久しぶりの仙台の駅に降り立ちました。
目的は”女川町の成人式に出席すること”。

 

2011年の東日本大震災、その後 被災地で最初に復学したのが女川第一中学校でした。
その震災直後に入学してきた新1年生が卒業するまでの間・・・2年半ほどの中で、何度も女川にお邪魔し、一緒に給食を食べたり、音楽作品を作ったり、アーティストのコンサートツアーの裏方を務めたりしたのですが、そのときの生徒さんたちが 成人を迎えられたのです。

 

彼らと一緒に作った 『空』(作詞:Satomi・作曲:都志見 隆)という楽曲と、『羽よ、魂となれ。』(作詞:Satomi・作曲:岡本真夜)という2曲を収録したシングルは、なんと当時のオリコン・チャートでも上位に入ったのですが、『空』は その後の女川第一中学校で<青空プロジェクト>という生徒さん主導の活動が始まり、PTAの総会でもご父兄の方々が毎回歌ったり、校内や町の行事でも歌われ、震災後の女川の町で多くの方々に歌っていただいた楽曲になりました。

彼らが卒業する際には、卒業式のプログラムにも全くなかったにも関わらず、閉会宣言を遮って いきなり全員で歌い始め、ざわついた会場が 歌が進むにつれ静かになり、そして歌い終わった後には、会場が大きな拍手に包まれました。

 

 

その卒業式の後、Rくんという学校で1・2を争うくらいヤンチャだった生徒が オレのところに来て みんなの前で言いました。
「山元さん、オレらが成人するときに来てよ」と。

彼らの歌を録るとき、「一緒にこうやって作品を作るってことは、最低でも君らが成人するまで付き合うつもりでオレは作品を作ってる」と言っていたのですが、それをRくんは しっかり覚えていてくれたのです。
「おう!もちろんだよ。その時に一緒に酒が飲めるなら、オレが全員の酒代を払ってやるよ!」

・・・あとから「あ、卒業生って100人以上いるなぁ。。。大きく出すぎたかなぁ」と ちょっと後悔したのですが(笑)、その約束を胸に刻み、数年を過ごしていました。
もちろん、その間にも女川をはじめ石巻などに何度もお邪魔していたのですが、そのときの卒業生に会う機会はなく、今回会うのが実に5年ぶり。

 

成人式の朝、新調した着物や袴に着替えながら、Rくんは「山元さん、来るかなぁ・・・」とお母様に言ったそうです。
それを聞いたお母様は「うん、絶対に来るよ!」と仰ったと伺いました。

行きますとも!!(笑)

 

成人式_女川

 

成人式、そして実行委員会による式典、新成人だけで集まって初めて飲む二次会、先生方との三次会、と明け方まで続いた宴 すべてに参加させてもらいました。
色々書きたいのだけど、その1日の素敵な想い出は、文字にするには大きすぎて、オレの胸の中にしまっておこうと思います。

 

離れても遠くの青い空の下で元気に頑張る 女川町出身の新成人の皆さんにも届く作品が作っていけるよう、今年も頑張ります。