働クオトコノウタ

3月19日 金曜日

 西のとある地方都市に新たに作っているスタジオの工事も、いよいよ終盤に差し掛かってきた。
 専門家の方やメーカーさんにアドバイスいただきながら 自分自身で設計し、壁や床の遮音処理から下地組みまで全て一人で行ってきたのだけど、時間をかけて丁寧にやった成果か、ここまでは なかなかのクオリティになっているんではないかという気がする。

 都内の作業場をメインで置き、その作業を”拡張できる場所”というコンセプトで進めているのだけど、もう一つ『日本一ミニマムで本格的なスタジオ』という隠れコンセプトみたいな目標もある。
 大きなスタジオや中くらいな使い勝手の良いスタジオは国内に数多あるけど、極小でしっかりしたスタジオというのにはお目にかかったことがない。
 昨年から続くコロナ禍の中で、多くの音楽家が不自由な思いを抱えて過ごしたのだけど、自宅に 今オレが作っているくらいの作業部屋が、それも自作で作れれば もっと精神的に楽になるんじゃないだろうかという思いもあって、あえて<極小スタジオ>にこだわった。
 実は、この作っているスタジオの隣には、わりと広めの録り部屋に改装できるくらいの部屋も余っているのだけど、今回は この極小スタジオを精度の高いものに仕上げ、作業の進め方からコストまでネット上で詳しく情報共有できれば、何か動こうとされる音楽家にとって少しくらいは役立つ情報になるかもしれないんじゃないかと思う。

 今日までで工事日数は延べで27日が経過した。
 午前中に軽天屋さんがボード貼りの現調(ここはプロにお願いする予定)に来られ、午後から防音ドアが届いたのだが、40kgを超えるドアを階段で運ぶのは 流石に骨が折れた。いや、骨は折れていないけど、でも死ぬかと思った。
 昭和の時代に建ったこのビルは、頑丈でスラブも厚いので 音的には凄く良いのだが、EVが無いので材料の荷揚げに本当に苦労している。その中でも今日の防音ドアを運ぶのは一番大変だったかもしれない。運び終わった後に鏡を見たら、顔が白くなっていたので、そこそこな臨死体験をしたんだと思うw。

 早速 開梱して取付けをしようと始めたのだけど、心も体も疲れきってしまいスグにやめた。
 こんな感じなんで、工事日数がどんどん伸びる。

3月25日 木曜日

 壁の下地が完成し、しっかりした作業部屋らしくなった。
 現調に来られる内装屋さんが口々に「こんなしっかりした防音ルームは初めて見た」と言ってくれるのがとても嬉しい。もしかするとオレは曲のアレンジをするよりも大工仕事の方が上手くなってるのかもしれないw。

 調子に乗って、元々の予定にはなかったフローリング貼りも自分でやってみることにした。
 これも失敗だった。
 発注したフローリング材が運送業者さんの荷台渡しという変則的な発送方法だったのもあるが、材料が長い(荷揚げが大変)、硬い(キッチリ貼らないと上手く仕上がらない)という上に、「水気厳禁」という厳しい条件もあり、パンパンな吸音材で囲まれた素晴らしい断熱機能を持つ狭い部屋での作業には向いてないんじゃないかというような素材を発注していたからだ。

 ポタポタと滝のように滴る汗が、下地のコンパネやフローリングに水玉柄のように落ちて止まらない。
 1枚貼っては遠くの景色を見つめ、無言になる。
 寒いよりかは暑い方が好きだが、”暑すぎる”のは嫌いだ。

4月1日 木曜日

 世の中全体に閉塞感が漂っているからか、今年はエイプリル・フール的なおふざけをSNSなどに投稿する人も少ないような気がする。
 個人的にはこんな時だからこそ少しくらいふざけて笑えるような出来事があるといいなと思うのだが、どこで誰に突っ込まれたり怒られるか分からないので、オレ自身も自重することにした。

 数年前に「もんじゃ屋を始めました!」と投稿した際は、なぜか本気にする人が多く”おめでとうございます!!” とか”お祝いを送りたいので住所を教えてくれ” とかの連絡がたくさん来たりして、嘘なんか吐くもんじゃないなと思ったのだけど、毎日ニュースで明るいニュースがなかなか無いので、ついつい嘘の一つでもついてみようかなという気分になる自分が不謹慎野郎なのかもしれないなと思う。

4月5日 月曜日

 20年前、まだ ほぼ何の実績もない駆け出しのヒヨッ子プロデューサーだったオレが一念発起してコンピレーション・アルバムを作ろうと奔走した。
 当時、地元でラジオ番組を何本かやらせて貰っていたのだけど、その中の1つに音楽番組があり色んなアーティストさんの作品を紹介させていただいてたのだが、やってるうちに「こんなエエ曲が世の中に浸透してないのか」とか「こんな名作が何で売れてないんだ?』という疑問というかわだかまりのようなものがずっと心にあって、「いい曲が売れるとは限らないという世の中」に少しでも抗いたいという気持ちから ”なら、オレがアルバムを作って宣伝も全部やってやる!” とカンチガイしたのがキッカケだ。

 上京以降に仲良くさせて貰っていたアーティストさんや、ライブに足を運んで「お!」と感じて直接お願いに行ったアーティストさんなど次々に参加してくださるアーティストが決まっていったが、その並びがとても美しく、逆にその美しすぎることに「自分らしくない気がする」違和感が生まれて、どうしようかと悩んでいた。

 生放送と収録で毎週に近いくらい地元には帰っていたのだが、その折に地元では知らない人がいない天才アナ・横山雄二さんと飲む機会があり、酔った勢いもあってその違和感について相談させて貰ったら「オレらで出来ることなら何でも手伝うから言って!」と言ってくれた。

 当時、横山アナは深夜帯でありながら視聴率が10%近いお化け番組<Ken-jin>というレギュラーをされてて、その中でKEN-JIN BANDというユニットをやっていた。
 全国区の番組でユーラシア大陸横断をして、その後少し人気に翳りの見えた猿岩石のお二人を「地元が応援せんと誰が応援するんじゃ!」とレギュラーで出演させ、挙句にはCDデビューまでした。
 そんなKen-jinファミリー(スタッフ含めて横山アナがこう呼んでいた)やKEN-JIN BANDがゲラゲラ笑いながら番組や音楽作品を作っているキラキラ感が 当時全く売れてなかったオレには羨ましく、「自分もその中に入ってゲラゲラ笑いながら楽しい音楽をやってみたい」という思いもあり、アルバムの並びに何か違ったカタチの化学反応を起こしたいという思いもあって参加をお願いしたところ、横山アナは「全てヨッシーに任せるから!」と言ってくれた。

 喜び勇んで都内に戻り、BOSSに報告したら一言、「アーティストに何を歌わせるか、だな。そこまで考えてオファーしないとプロデューサーではない」とバッサリやられた。これは かなり堪(こた)えた。
 心の深いところをエグられた感触のまま、事務所の鍵を借りて 毎晩 渋谷のTSUTAYAと事務所を往復し、金も無いのに毎晩 数十枚のCDを買い、色んな角度から「何が良いのか」を必死に探った。
 何日か事務所に泊まり込んで、ある朝、「コレだ!」という1曲を見つけ、事務所のテーブルの上にBOSS宛てのメモと音源を置いて久しぶりに家に帰った。

 翌日の昼過ぎ、ドキドキしながら事務所に行くと、オレが書き置きしたメモの裏にBOSSから『グレイト』の一言。

 その曲は、あれだけTSUTAYAに通って買いまくった100枚近いCDの中ではなく、自分が音楽プロデューサーとしてトボトボ歩いて来た短い道のりの中にあった。

 この2年半ほど前に村下孝蔵さんが亡くなり、ご縁あって生前の村下さんが亡くなられる2ヶ月ほど前に出演された最後のラジオ番組の同録を、全国の村下さんゆかりの方々へ届けたのが、オレのプロデューサーとしての最初の動きだった。
 その村下さんが高校を卒業後 音楽活動をされてたのが地元・広島であり、その広島で今アツく活動してるKEN-JIN BAND、そしてオレ・・・何か1本に繋がった気がした。
 そんな彼らに歌ってもらうのは【初恋】以外ありえないと何故か思った。

 そして、その【初恋】の編曲を、同じく広島出身であるBOSSにお願いし、《初恋 tuned by 243》というタイトルを付けた。


 その後も、トントン拍子に進んだ訳ではない。
 生前の村下さんとご昵懇だった方や、ファンクラブを運営されてる主だった方々にお願いに行ったのだが、当時は「芸人さんと局アナのユニットが村下さんの名曲をカバーするなんて」的な反応だったのを、一生懸命にお願いし、必死に熱意を伝えてようやくご了承いただけたり、番組ディレクターと何度もやり取りを重ねたり、「プロデューサーって こんな事までやらんといけんのんかぁ〜…」と思ったことも一度や二度ではなかったが、少しずつ何かに近づいている感覚もあって、とにかくガムシャラだった。

 BOSSによる編曲があがって、初めてオケを聴いたとき、泣いた。
 歌録りは、当時 事務所から歩いて1分の場所にあった<studio 243>で行われ、2日かけて3人のパートを録り終えた。
 当時、横山アナが「10年、20年後の自分たちが聴いても色褪せてないものが作りたい」と言われていたが、今聴いても まさにそんな作品になっている気がする。

初恋 tuned by 243 / KEN-JIN BAND



 この作品がきっかけになり、2年後の<ロケット / 働クオトコノウタ>のプロデュースに繋がるのだが、このシングルはオレにとって初めてのシングル・ヒット(たしか20数週 連続TOP10入りだった)になり、オレの作家人生の扉を開いてくれた作品(劇団ひとりさんと共作)になった。
 今でこそ名前を冠した十数本の番組を持ち テレビで観ない日は無いが、当時 人気に翳りのあった芸人さんを「面白いんだ」とレギュラーで使い続け、また「全て任せる!」と丸投げした全く無名の実績も無い音楽屋が、20年を越えた今も細々とであるが業界の片隅で生き残れてるんだから、横山アナの慧眼には恐れ入る。


 週が明けた今日も朝からキー局の情報番組では結婚のお祝いムード一色だ。
 自分のことのように喜んで番組を進行されてる芸人さんの表情を見てると、オレも色んな思い出が蘇ってくる。
 中でも<働クオトコノ〜>の作詞を彼がする時、毎晩 お互いに電話の子機をフックONにした状態で、何時間も涙を流しながらヒーヒー笑い続け「やっぱ天才じゃ(笑)!!」と何度も彼に言いまくった4日間ほどが、本当に楽しくて仕方なかった。

 <働クオトコノ〜>の歌詞みたいにならないようにw、末長くどうかお幸せに!
 ご結婚、本当におめでとうございます!!

働クオトコノウタ / KEN-JIN BAND 作詞 / 有吉弘行 作曲 / 劇団ひとり・山元淑稀 編曲 / 萬Z(量産型)