誰か教えてくれよ〜・・・(凹)

2月24日 水曜日
 「勝つ」ために何をすべきか、ということよりも「勝たせる」ために何をすべきか、の方が遥かに難しいなぁと痛感した。
 元プロで4戦したことのあるボクサー、現在は同業者ということもあり、飲んだりメールのやりとり等でボクシング談義をする仲間がいて、その彼が「試合に出たい。セコンドについてくれないか」というので一緒に練習したり、オレの同門で社会人ボクサーとして頑張ってる友人にスパーリングパートナーをお願いしたりして試合に臨んだのだが、1回RSC(公式記録は1R TKO)で負けた。
 奇しくも負けた相手も同業者で、相手はその日がデビュー戦。デビューまで3年間みっちり練習をして初試合のリングに上がった相手に1Rで2回のダウンを奪われて終了。試合終わりでスパーリングパートナーを務めてくれた友人と飲んだのだが、レモンサワーがいつもより苦く感じた。たぶん気のせいだと思うw。

 相手選手は練習動画がWEB上に上がってたりしてたので、それを観て技術的には負ける要素は無いんじゃないかと思っていたし、元プロの仲間も「間違いなく勝てる!」と思っていたと思う。
 負けた原因は、3年間コツコツと積み上げてきた拳と 試合前1ヶ月程度で作ってきた拳の『拳の重さの圧倒的な違い』だったんだろうなと試合終わりの中華料理屋で友人と話した。

 元プロの仲間は、現役時代には誰でも名前を聞けば知っている名門ジムの会長肝いりで中学生からボクシングを始め、その才能を買われて4戦やった後メキシコにボクシング留学させる話まであったほどの才能を持っていた選手。
 対して相手選手は、ボクシング初挑戦とはいえ体幹も強く、悪いところを言えば色々あるけどそれを上回るパンチ力とスタミナを持った選手。
 元プロの仲間と試合前日にメールでやり取りした際に、3Rを通した試合プランの確認をした後、オレは「必ずブッ倒すと決めてリングに上がれ」と伝えたのだが、彼は「倒すとかより”自分のボクシング”をやり通して勝つ」と返してきた。その時になぜ「そんな緩い気持ちじゃダメだ」と言えなかったんだろうと試合が終わって後悔した。

 オレがセコンドについた仲間の試合の次にリングに上がった選手は、強烈なカウンターを貰って失神し、控え室に戻ってきてからゲーゲー吐いていた。
 その次の選手は、1R1分40秒で相手をKOして控え室に帰ってきた。

 倒すつもりで3年間しっかりと拳を作ってきた相手の「どんなことをしても勝ちたい」というガムシャラな気持ちに勝るものなどこの世にない。
 縄跳びしたり、鏡の前でシャドウしたり、サンドバッグ叩いたり、誰も褒めてくれない地味でストイックな練習を積み上げてリングに上がり、フルでやってもたった11分で自分がやってきたことへの結果が出る社会人ボクシングは、勝ちたい気持ちのより強い方が勝つんだろうなと思う。
 そういうスポーツだからこそ、”勝たせる”って本当に難しい。。。

3月9日 火曜日
 都内はまだ緊急事態宣言の真っ只中だけど、感染者の少ない地方都市では7割がた経済が回復してきたという。
 オレ自身は今年に入ってから都内を離れて感染者の少ない場所で仕事をしていたこともあって、安心だと思われたのか地方での打ち合わせが増えてきた。
 当然、移動などは消毒液も持参して細心の注意を払うし、夜などは会食のお誘いも極力お断りするのだが、1・2月わりとヒマだったので、仕事のヤル気がハンパないw。
 決定ではなくとも、仕事が動き出すと身体にも良い緊張感が漲ってくるような感じもするし、クライアントから何件も声をかけて貰えることが有り難く、「まだ世の中に求められてるんだ…良かった…」という安心感もある(笑)。

 今回の出張は、5日間で4つの地域をハシゴして打ち合わせするというスケジュールなのだけど、コロナ禍で変わったのか、朝8時半や9時には会議や打ち合わせがスタートするスケジュールな毎日なので、7時にはいつも起きてるという音楽関係者らしからぬ日々を送るようになるだろう。
 「7時に起きるということは・・・」と考えて、逆算して寝る時間を割り出したりもしたが、よくよく考えるとホテルに戻ってからも翌日の準備などしてると そんなにゆっくりと寝る時間が無いことに気づいた。

 でも良いのだ。個人事業主にとって”仕事が動く”ことがどれほどの喜びか(歓喜)。
 年齢を重ねれば重ねるほど、仕事をもらえる有り難さが身に沁みる(笑)。

3月13日 土曜日
 どうやらオリンピックは開催されるらしい。
 「この状況下で、どうやって感染リスクを抑えながら開催するんだろう?」とも思ったりするけど、そのお陰で無くなったと思っていた仕事が復活するかもしれないという可能性も出てきたので、一度 都内に戻ることにした。
 早起き・寝不足だった5日間の出張は、まだまだ練らなければいけないことも沢山あるけど、楽しみなことも増えた。

 都内に戻ることを出張中に決めたので、戻る道中に途中下車して寄り道することにした。以前から気になっていたウェイクボードの元プロが経営されるガレージに寄ったり、コロナの蔓延以降すっかりご無沙汰しているクライアントのご担当に会ったりしてきた。
 こうして動くと、また新たな面白い話なども出てきて、今年なのか来年なのか、それらがカタチになればいいなぁとワクワクする。

 久しぶりに泊まった天守閣の見えるホテルをチェックアウトして「さて、都内に戻るか!」と意気揚々と移動したのだが、ホテルの部屋を出てから新幹線に乗るまでの約2時間、デニムパンツのチャックがフル全開だった。
 この出張で一番の大事件であり、ショックな出来事。誰か教えてくれよ〜・・・。

3月16日 火曜日
 今週に入ってから、続々とお久しぶりの方々から連絡をいただくことが続いてる。
 十数年振りに声を聞く人、6年振りの人、メールなので声は聞けないがおそらく9年ぶりくらいの人、と2日ほどの間に3人の方から、それもいきなりなんの前触れもなく連絡が入ると「あれ…オレってもう死ぬのかな…」などと不吉なことも考えてしまう。
 あまりに短い間にそういうことが重なるので『何年も会ってない人 立て続け 連絡があった』でググると、どうやらそういう偶然が続くことを<シンクロニシティ>というらしい。

 そこで、その<シンクロニシティ>についてまたググってみたのだけど、それについて説明しているサイトの説明があまりにも長すぎて、
   「シンクロニシティとは、どういった事例のことを言うのか、そしてどうして起こるのかについて心理学の観点から詳しく説明します」
 という部分まで読んで、それ以上読むのをヤメた。
 おそらく・・・いや、きっと ”ただ単に偶然が重なっただけ” だろうなと思う(笑)。
 あ〜美味いお好み焼きが食べたいな。。。

東日本大震災から10年を迎えた瞬間は、出張先の駅のホームでした。
ホームのベンチに座って黙祷させていただき、亡くなられた方々のご冥福や、
今もなお行方不明になってらっしゃる方々の1日も早い発見をお祈りさせていただきました。

「震災から10年」という報道の一区切り感に違和感を覚えながら、
それでも、こうして報道されることによって、我々日本人の防災意識が少しでも向上したら
良いなと心から思います。

この写真は、震災から3週間後の女川の町です。
当時、物資のご支援などでお世話になってた方から「石巻や女川に行くなら、行けない自分たち
に現地の状況がわかるように写真を撮ってきてくれないか」と言われ、撮った中の1枚。
その時は、津波に飲まれたにも関わらず満開に咲く椿の強さに驚いたりもしましたが、
数年前までは、カラーで現像したりカラーデータを見たりすることが出来なかったものです。
今でもこうして見ると、当時の記憶や色んな感情が溢れそうになり、なんとも言えない気持ちに
なりますが、自分の中に今も残る感情や記憶ときちんと向き合い、震災から学ばせてもらった
教訓や知識を忘れず、防災意識をしっかりと持って生きて生きたいと思います。

合掌