春を通り越して 初夏のような暖かだった日の夕暮れに、「ついさっき祖母が亡くなった」と母親から電話があった。91歳、大往生と言っても良いだろうと思う。
昨年の暮れあたりから、もうそろそろのようだとは聞いていたが、いざ そうなってみると全く実感が湧かなくて、なんか自分が悪いことをしているような気になる。
ここんとこ ずっと書いているプロジェクトの現場がまさに進行中で、かなり大掛かりなスコアをパッツンパッツンのスケジュールの中 現場に送らなければならず、必死に画面に音符を打ち込んでる最中だったので、「申し訳ないけど通夜も葬儀も出席するのは ちょっと厳しいかもしれん」と母親に伝えると「仕事があることが有難いのだから、仕事を優先しなさい」と言ってくれたので少しだけ心のつっかえが取れたような気になった。
50年近く、今も現役で商売してる母親だからこその言葉だった。有り難かった。
小さい頃、親父はほとんど家にいなかったし、母親もずっと仕事をしていたので、オレら兄妹弟は祖父と祖母に育てられた。
20数年前に祖父は他界しているので、育ててもらった恩から考えると、祖母の通夜にも葬儀にも出席しないというのは かなりバチ当たりであることには違いないのだが、「親の死に目にも会えないと覚悟しろ」と今でも当たり前のように言われ続けている業界で仕事をさせてもらってて、その仕事の真っ最中に「肉親が亡くなったから地元に帰ります」などとは絶対に言えないし、進行中の作業を仕上げて送らないと現場にいる100人近くの方たちに迷惑がかかる・・・そんなことを言い聞かせながらも 悶々しながらPCと向き合い、黒塗りのオタマジャクシを淡々と打ち込んでいた。
そうこうしてると1時間ほど経って現場から連絡が。
「事前に必要になったので、明日中に仕上げて送ってくれないか?」と。
普通なら「必死に作業してますけど、絶対に無理です。ちょっと勘弁してもらえないすか」な感じなのだが、「あれ?コレを仕上げたら葬儀には間に合う?んじゃね???」という思いがアタマを過ぎり、そこからメシも食わず 必死のパッチ、ヘロヘロになりながらも火事場のナントカで仕上げてデータを現場に送った。
「ありがとう。あとはこっちで手書きで書き込みます。お疲れさまでした」とOKの連絡が入ったのが午前5時半、本来であれば現場から変更や手直しの連絡が入るまでは待機してるのだけど、「変更がきたら新幹線の中でやる」と決め、スーツケースに喪服や着替えなどを詰め込み、とりあえずの機材やPCを持ってスウェット姿のまま東京駅に向かった。
地元に着くと、すでに収骨も終わったあとで 結果的には間に合わなかったのだが、久しぶりに家族が揃って晩メシを食い、そして その後 25時過ぎまで母親と二人で色んな話をした。
「お袋と こんなに長時間 二人っきりで話したの、生まれて初めてかもしれんなぁ」と思いながら、わりとトンチンカンな母親の愚痴を笑いながら聞いていた。
で、翌日。
どうせ広島まで帰ったのだから、そのまま足を延ばして 現場に顔を出してみようかなと。
東京駅に向かう前に ふと思いついてプロデューサーに連絡し、「ぜひ どうぞ」と言っていただいたこともあって、そのまま鹿児島へ。
以前プロデュースしていたオムニバスLIVEや、アーティストのツアーサポートで これまでに何度か訪れた鹿児島だが、実は これまでに桜島を見たことがない。
何度もお邪魔したCAPARVO HALLの楽屋からは桜島がドーンと見えると毎回イベンターさんから聞かされているにも関わらず、台風直撃だったり 曇天だったり ガスってたりで、かろうじて下半分だけを1度見たきりである。
今回お邪魔する町は、鹿児島中央駅から車で4時間ほどの九州最南端の町なのだが、以前 地元の方から聞いたハナシによると桜島はドッカーンと(ご本人談) 見えるらしい。
「え〜っ!?桜島を見たことないですか!?ぜひ来てください、必ず見れますから」という言葉を運転しながら思い出しては 期待で気持ちが高ぶる。
高速道路から見える、ちょっとした大きな山を見つけるたびに「あれが桜島かなぁ」とナビを見る・・・全然違う(苦笑)。
そうこうしてると夕暮れの時刻になってきた。あと60kmほどで現地に着く予定なのだが、未だ桜島は見えていない。
どんどん薄暗くなっていく海沿いの道を走りながら、現場で「桜島、見ました?」と聞かれ「いやぁ、今まで何度も来てるんですが一度も見れたことがないんですよ」と答える自分をシュミレーションしていた時、右ナナメ後ろに大きな影というか異物のような気配がした。
「わっ!」
・・・一瞬だった。
すぐに携帯で写真を撮ったが、あとから見るとピンボケで 上手く写ってはいなかった。
でも、、、、、桜島、見ました!
「桜島、初めて見ました!」と車の中で独りで何度も呟いた。
午後8時、かなり冷える夜の現場に着いたら、自分の曲が爆音で流れ、百人近い方々が動いてらっしゃる真っ最中だった。
翌日は、各場面の現場を一人で回り、夕方から重要な場面であるあぜ道に座って、その前方にある大きな大きな崖を眺めていた。
千年以上前からあるこの崖と この道。
数え切れないほどの人が、ここを どんな気持ちで歩いてきたのだろう?、そんなことを思いながら日の暮れた真っ暗なあぜ道に座ってると、なぜか泣けてきた。
なんで あんなに涙が出たのだろう?と今考えてもよく分からないが、悲しくて泣いたのではないことは分かる。
なんだろうなぁ・・・自然の大きさに圧倒されたのかなぁと思う。
さて、先週末から その曲を書いている。
どう説明すればよいのか分からないけど、なにか”書かせてもらってる”ような感じが ずっとしてるから、まだちょっとフワフワしてんだろうな。
気合い、入れます!