あのときの時間はつづく

15年前の2002年に [a day]というコンピレーション・アルバムを作った。
シリーズ化したそのアルバムは、2002年から2005年までの間に4枚を世に出した。
まだ 駆け出しのひよっ子プロデューサーだったオレが、東京という大都会で多くのアーティストと知り合い、そして「この曲が、このアーティストの歌が、もっともっと多くの人の耳に届いて欲しい」という想いを抱いて作ったアルバム。

 

当時まだ流通の選択肢として不安な面も無くはなかったインディーズ流通で、特別な宣伝などもせず、BOSSや部長と一緒に「どうやったらパワープレイが獲れるか。どうやったら試聴機に入るか。」に特化したアイデアを練りに練った。

BOSSの理解と後押しもあって、1枚目から”プロモーション”という名目で予算を出していただき、北は北海道、南は九州までの放送局やディーラーをオレ一人で行脚。
放送局では受付で「すいません、編成の偉い方を紹介してください」と、今じゃ考えられない飛び込み営業をし(笑)、ディーラーの軒先では店長やインディーズ担当の方に猛アプローチして、その場で註文書に発注数を書き込んで貰うというドブ板営業。

その結果、各地で特番を組んでいただいたり、生放送や収録で多くの番組にゲスト出演させていただいたり、各地のCDショップではメジャーの作品を差し置いて平積みにしていただいたりと、本当に多くの方にお世話になった。

 

そのアルバムと連動したオムニバス・ライヴも同時にスタートし、当初120人キャパの会場に50人足らずしか入らなかった[LIVE a day]という企画ライヴも、2006年には2千500人規模の動員をするまでに成長した。

今では当たり前のように何人かのシンガーソングライターがステージに立って歌って、最後に全員登場のセッション曲を披露するというスタイルの走りだったように思う。
その括りで全国ツアーにも飛び出し、多くのお客さんに聴いていただいたことに、本当に感謝している。

 

 

その1枚目をリリースするときに訪れた富山県。
FM富山でプロデューサーをされてたK角さんに、地元では有名なレコードショップチェーンのFヤさんをご紹介いただいた。
統括のバイヤーだったM山さんをはじめ、各店の店長とは非常に懇意にさせていただいたのだが、先月、その中の二口店 店長(当時)だったH川くんが久しぶりに上京するということで、当時の大手レコードメイカー北陸担当だった方々と渋谷に集合した。

S社やV社、T社、a社など、当時の名古屋営業所に居て北陸担当だった人たちの殆どが現在では本社勤務で重要なポストに就いてる。
全国のCD販売シェア1%ほどのエリアで、いかにパッケージを売っていくか、いかに店頭に積んでもらうかということを常に考え、動いてきた人たちだからこそ、今のようなパッケージが売れない時代に必要なノウハウを持ってると言える。

オレ自身は、北陸担当の方々と直接的に仕事での縁は無かったのだが、当時もだったが、今でも北陸担当が集まるというと、必ず声をかけて貰ってることが有り難く、そして不思議だ(笑)。

 

”全然かわらないねぇ〜”
誰かが登場するたびに、そんな言葉で盛り上がる。

お互いにトシは取ってるし、貫禄も出てきてるしなのだが、昔話よりも「今の時代にどう売っていくか」という話で盛り上がる仕事へのアツさは変わらない。
健康の話や、親族の話など、我々世代が考えていかなければならない話もあったが、やはり皆どこにいても音楽を愛し、そして音楽業界で まだまだ何か出来ることがあると信じて取り組んでいる姿は、普段 作業場に閉じこもってゴソゴソ作業しているオレにとっては、非常に刺激になる。

次回は、当時T社のプロモーターだったK頭くんなどとも一緒に集まれるといいなぁ〜なんて話をして明るく解散した。

 

Fヤは2016年4月12日に負債額10億円で特別清算の開始決定を受け、8月14日に100年の歴史に幕を閉じた。

100年の間に、オレが直接お世話になった作品は6枚ほどだったが、ツアーの即売などでは1回に250枚以上が売れるということもザラで、何度も一緒に祝杯をあげた方々が居た場所。

その思い出は しっかりと心の奥におさめて、また前を向いて進んでいこうと思ってるのです。

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