ザギンでユーミン

つい昨日のことなのだが、6年ぶりくらいに、LIVEにキーボーディストとして出演させていただいた。

1年ほど前に、ペニー当山さんや近藤ナツコさんというベテラン女性シンガーさんたちと月島の居酒屋で夕方から飲む機会があり、その席で何の話からか (みんな酔っ払ってて あまり記憶が確かではないw)”松任谷由実さんの作品の世界観を感じて貰えるようなLIVEをやろう” ということになり、銀座のRoad to Starというハコを借りてやることになった。

松任谷由実さん、荒井由美さんが70年代から80年代後期にかけて書かれた詞曲やアレンジの素晴らしさは誰しも知っていることだが、それを4リズムにアレンジし直して、いかに世界観をそのアレンジに投影できるか・・・ということの難しさに対しての不安はあったが、大先輩たちとご一緒させていただけることや、もう一度4リズムのアンサンブルを勉強したいとずっと思っていたので、自分自身にとっても、とても意味のあるチャレンジだと思ったのです。

 

《Ride on the Time Machine 第一夜 ~ザギンでユーミン~》というタイトルのライヴのバンドメンバー、
ドラマーは上野義雄さん。
前回のブログに書いた[a day]というコンピレーション・アルバムはラジオ仕立てになってたのだけど、そのアルバム内で使用するジングルを作っていただいた(ナヴィゲーターは金子奈緒さん)のが最初だから、初めて会ってから15年が経つ。
BOSSの同級生で、オレ自身は義雄さんと一緒にステージに立つのは初めて。
「この前、隆夫(BOSS)と飲んだんだよ。yossyと一緒にやるって言ったら”アイツ、ちゃんとヤってんの?”って言ってたよ」と(苦笑)。
ちゃんとヤってます(笑)。

そして、その義雄さんが「ベースは彼が合うんじゃないかなぁと思って」と推挙されたのがベーシストの田口英穂さん。
Jニーズから演歌の大御所まで、今も様々なところで活躍されてる大先輩で、顔合わせと称してメンバーで渋谷に集まり飲んだときから、とてもよくしてもらってる。

「ギターはイキのいい若手がいいね」と誰かが言ったことを機に、近藤ナツコさんが引っ張ってきたのが福田正人くん。
師匠の元でしっかりと技術を磨いてきたってのがよく分かる、正確で丁寧なプレイヤー。
30歳くらいかなぁ・・・栃木から東京に出てきてまだ3年という、オレのスタートと少し重なる感じもあって、よく二人で騒いでます(笑)。

そしてヴォーカルが、ペニー当山さんと近藤ナツコさんという実力派のお二人のツインヴォーカル。

 

そんな素敵なメンバーの方々と一緒に駆け抜けた2時間、19曲。

Sold Outだった満員の会場で、最初はステージも客席も緊張感が凄かったのだけど、1曲、2曲終わるころには とっても柔らかな時間が流れ始めてね、本篇の最後の頃になると色んな想い出が溢れてこられたのか、号泣される方や涙ぐまれる方も沢山いらっしゃって、本当に良いライヴだったなぁと、一夜明けてジワジワきてるのです。

途中、会場に観に来られてたm.c.A・Tさんを無理矢理ステージで紹介し、そのまま『真夏の夜の夢』を共演、客席の盛り上がりも凄かったどころの騒ぎじゃなかったのです。
本当に素晴らしい1日を過ごさせて貰いました。

 

ご来場いただいた大変に多くのお客様、そして音周りでお世話になったスタックコーポレイションのみなさま、そしてRoad to Starのスタッフのみなさま、本当にありがとうございました。
これから またメンバーで第二夜の話し合いをして しっかりと練っていき、もっともっと楽しんでいただけるステージになるよう頑張ります。

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そして、一夜明けて今日、
熊本地震から1年が過ぎた。
深い縁のある人たちが住む熊本の地で、阿蘇が噴火するということはあっても、まさかあのような大きな地震が起こるなんて予想もしていなかった。
益城町では、未だ何千人もの方が仮設住宅で暮らしてらっしゃると聞く。
1日も早く、元の生活に近い暮らしができるようにと祈ってます。

 

 

 

 

あのときの時間はつづく

15年前の2002年に [a day]というコンピレーション・アルバムを作った。
シリーズ化したそのアルバムは、2002年から2005年までの間に4枚を世に出した。
まだ 駆け出しのひよっ子プロデューサーだったオレが、東京という大都会で多くのアーティストと知り合い、そして「この曲が、このアーティストの歌が、もっともっと多くの人の耳に届いて欲しい」という想いを抱いて作ったアルバム。

 

当時まだ流通の選択肢として不安な面も無くはなかったインディーズ流通で、特別な宣伝などもせず、BOSSや部長と一緒に「どうやったらパワープレイが獲れるか。どうやったら試聴機に入るか。」に特化したアイデアを練りに練った。

BOSSの理解と後押しもあって、1枚目から”プロモーション”という名目で予算を出していただき、北は北海道、南は九州までの放送局やディーラーをオレ一人で行脚。
放送局では受付で「すいません、編成の偉い方を紹介してください」と、今じゃ考えられない飛び込み営業をし(笑)、ディーラーの軒先では店長やインディーズ担当の方に猛アプローチして、その場で註文書に発注数を書き込んで貰うというドブ板営業。

その結果、各地で特番を組んでいただいたり、生放送や収録で多くの番組にゲスト出演させていただいたり、各地のCDショップではメジャーの作品を差し置いて平積みにしていただいたりと、本当に多くの方にお世話になった。

 

そのアルバムと連動したオムニバス・ライヴも同時にスタートし、当初120人キャパの会場に50人足らずしか入らなかった[LIVE a day]という企画ライヴも、2006年には2千500人規模の動員をするまでに成長した。

今では当たり前のように何人かのシンガーソングライターがステージに立って歌って、最後に全員登場のセッション曲を披露するというスタイルの走りだったように思う。
その括りで全国ツアーにも飛び出し、多くのお客さんに聴いていただいたことに、本当に感謝している。

 

 

その1枚目をリリースするときに訪れた富山県。
FM富山でプロデューサーをされてたK角さんに、地元では有名なレコードショップチェーンのFヤさんをご紹介いただいた。
統括のバイヤーだったM山さんをはじめ、各店の店長とは非常に懇意にさせていただいたのだが、先月、その中の二口店 店長(当時)だったH川くんが久しぶりに上京するということで、当時の大手レコードメイカー北陸担当だった方々と渋谷に集合した。

S社やV社、T社、a社など、当時の名古屋営業所に居て北陸担当だった人たちの殆どが現在では本社勤務で重要なポストに就いてる。
全国のCD販売シェア1%ほどのエリアで、いかにパッケージを売っていくか、いかに店頭に積んでもらうかということを常に考え、動いてきた人たちだからこそ、今のようなパッケージが売れない時代に必要なノウハウを持ってると言える。

オレ自身は、北陸担当の方々と直接的に仕事での縁は無かったのだが、当時もだったが、今でも北陸担当が集まるというと、必ず声をかけて貰ってることが有り難く、そして不思議だ(笑)。

 

”全然かわらないねぇ〜”
誰かが登場するたびに、そんな言葉で盛り上がる。

お互いにトシは取ってるし、貫禄も出てきてるしなのだが、昔話よりも「今の時代にどう売っていくか」という話で盛り上がる仕事へのアツさは変わらない。
健康の話や、親族の話など、我々世代が考えていかなければならない話もあったが、やはり皆どこにいても音楽を愛し、そして音楽業界で まだまだ何か出来ることがあると信じて取り組んでいる姿は、普段 作業場に閉じこもってゴソゴソ作業しているオレにとっては、非常に刺激になる。

次回は、当時T社のプロモーターだったK頭くんなどとも一緒に集まれるといいなぁ〜なんて話をして明るく解散した。

 

Fヤは2016年4月12日に負債額10億円で特別清算の開始決定を受け、8月14日に100年の歴史に幕を閉じた。

100年の間に、オレが直接お世話になった作品は6枚ほどだったが、ツアーの即売などでは1回に250枚以上が売れるということもザラで、何度も一緒に祝杯をあげた方々が居た場所。

その思い出は しっかりと心の奥におさめて、また前を向いて進んでいこうと思ってるのです。

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