旅、のようなもの

VR作品の、台湾での初リリースは大盛況に終わった。
連日 長蛇の列ができて、2日目などは本来の終了時間よりも40分ほど前に”打ち止め”が出たくらい。ほかにも多くのブースが出ていたが、他のブースの関係者がその光景を写真におさめに来るくらい素晴らしい結果だったように思う。

そこで驚いたのは、日本語で言うところの「いいね!」を表す台湾語「好(ハオ)!」よりも、「キレ〜イ」とか「スゴ〜イ!」という声の多さ。
異国の人たちがVRを観て感嘆の声をあげ、その後にサムズ・アップしてニコニコしながら帰っていく様を見ながら、この作品に関わらせて貰ったことに心から感謝したのです。

 

台湾から帰って20日ほどはアレンジや仕込みの作業に没頭したが、そのあとスグに、また1週間強の旅に出た。
その旅では、自分の歩んできた40数年を数年単位で小刻みに振り返るような体験と感激を多く味わうことになりました。

IMG_6793

最初に降り立った熊本・・・震災以降2度目になるが、熊本城公園内に鎮座される、加藤清正公を祀った加藤神社さんが「震災があったからこそ、市中の状況を神様に見ていただくべき(宮司談)」ということで例年通り清正公祭をご斎行されることになり、参加させていただいたのだが、本当に<神事>というに相応しい、厳粛で感動的な神輿渡御だった。

今回で6回目の参加になるが、光栄にも睦の会長さんからご指名いただいて宮出しの華棒を担がせていただき、まるで地元の人のようにNHKのニュースにもドアップで映されていた(笑)。
マイクを通した宮司の声・言葉にグッと胸が締め付けられ、道中は まだ残る崩壊した建物を見たり涙を拭う沿道の方たちを見て、何度も涙が溢れそうになるのを我慢していたのだが、直会(なおらい)終わりで担ぎ手の打ち上げの折にさせていただいた挨拶で、ついに涙腺が崩壊した。
東北、そして九州と、震災の話題になると 今でも色んな光景が浮かんできて、感情がコントロール出来なくなる。
そして、自分の無力感でいっぱいになる。

 

 

熊本で3日半ほどを過ごし、前夜や前々夜のアルコールが汗になってダラダラと流れるのをハンカチで何度も拭いながら、次なる地・広島へ。

すでに情報解禁になったが、2年半ほど前から準備して様々な方面の方たちのご協力のもと ようやく完成したアルバム作品のプロデューサーとして、在広の媒体ご担当さんと連日の打ち合わせ。
出会った頃はお互い駆け出しで、ただただ「一緒にいることがオモロい」という感覚だけで遊んでいた制作ディレクターたちも、15年強という時間の中で多くの素晴らしい作品が評価され、立派なディレクターになってる。
とは言え、会えば昔のままの距離感だし、飲めば なんだかんだと仕事の話で盛り上がるしなのだが、その一言ひと言の重みや言葉の的確さは、大いに刺激を受けた。

 

3日間強で述べ11番組7人のディレクター、5名の媒体担当と会い、そしてそのほかにも8件の打ち合わせをした。よくもまぁ こんなに多くの広島人と会ったもんである(笑)。

しかし不思議なモノで、30数年振りに会う人も、十数年ぶりに会う人も、そして5年ぶりくらいに会う人も1年ぶりの人も、あの頃と何も変わらない笑顔で手を挙げてくれる。
お互いにジジイ・ババアに片足を突っ込んだ年齢・見た目ではあっても、人と人の触れ合う温度は そうそう変わるもんじゃないのだろう。
そう感じられたことが本当に嬉しかった。

 

IMG_6915

最後の2夜は、墓参りも兼ねて地元に帰った。
2日間もゆっくり滞在するのは いつぐらいぶりだろうと考えてみたが、どうやら相当前のことらしく、全く思い出せない(苦笑)。

昨年に移植手術をした母親が、まだ本調子ではないだろうと思い、1泊は街なか(・・・といっても実家から車で10分ほどのところなのだが)のホテルに泊まることにしたのだが、あいにくスポーツの大きな大会が開催されてたようで どこも空きがなく、結局ウィークリー・マンションと謳ったところに泊まることになった。

カフェを併設するフロントで受付を済ませ、鍵を貰うと「では、ご案内します。ここから少し離れているので」と言われ、オーナーっぽいナリの人の車を付いていくと、見覚えのある細い道をどんどん進んで行く。
「あれ?このまま行ったら この先は確かラブホテルで、そこで行き止まりじゃなかったっけ?」と思いながらついて行くと、案内された先は、まんまと その<元・ラブホテル>(笑)。
17〜8の頃、10枚集めると1泊タダになるサービス券を集めていた、まさにソコだった(爆笑)。
翌日は実家に泊まり、母親のトンチンカンな愚痴をプリタツに聞かされw、そしてまた夜は同級生や後輩と飲み、昔 通学路だった、都内に比べたら かなり薄暗い道を歩いて帰る。
たった2日ほどで、40数年前から30年くらい前までの十数年間を イッキに駆け抜けた気がした。

 

しかし こうして会う人 会う人すべてが、自分にとって財産なのだと心から思う。
16の時に家出をして、それから約2年ほど衣食住すべての面倒をみてくれてた先輩と会った瞬間に向けてくれた笑顔にはヤラれた。
子供やダンナがいるにも関わらず、夜22時にオレが帰ってきてると知ってチャリで駆けつけてくれた同級生の喜んでくれる表情にもヤラれてしまった。
「んじゃ、また!」と言って別れれば、自分の帰る場所は あの元・ラブホテル、エントランスを入った途端にいきなり澱んだ空気に変わるアノ場所に帰るのもイヤで、このまま この時間がずっと続けばいいのにと願った(笑)。

トンチンカンな愚痴を永遠に息子に聞かせる天然な母親に産んで貰い、ある程度の自我が目覚めた頃から あの通学路を何千回も往復し、そして家を出て先輩の家に転がり込んでからオトナの世界を知り、地元を離れて また多くの出会いと別れを繰り返し、そのうちの たった1回の衝撃的な出会いを機に東京に出てきて 多くの業界の人たちと知り合い、キャンペーンで行った熊本で劇的な出会いをして そこからまた沢山の人と知り合い、・・・・・そんなことを本当に沢山思い出せた日々だった。

 

まだまだ続くね。いや、続けていかなければならないと思うし、続けていきたいと思う。
生きるって、生きていきながら誰かとまた出逢っていくって、めっちゃ刺激的な旅みたいなもんだ、と、こうして つい2週間ほど前のことを振り返っても、強くそう思うのです。

 

 

広告