1つ出来ると、また1つ課題ができる子なんです、オレw。

4月16日 金曜日

 スタジオの工事は一旦中断して都内に戻ってきた。
 確定申告は無事に終わったが(殆どが税理士さん任せなのでw)、とある件で色々と書類が必要になったり、自宅のエアコン取替え工事があったりで、これから1週間ほど なんだかんだとバタバタ出たり入ったりになる。
 仕事なら何も考えず、ただガムシャラにやるのだけど、仕事とは関係ないことで連日埋まってる予定を見ると、ちょっと憂鬱になる(苦笑)。自宅に見ず知らずの人が何人も入って来られることも苦手で。。。
 でも、これから暑くなるのにエアコン無しは本当にキツいので、渋々受け入れるw。

4月23日 金曜日

 今年も なんとか無事に1つ年齢を重ねることができました。
 世の中が こんなに大変な状況下なのに、SNSなどで200通を超えるお祝いのメッセージをいただいたり、何人もの友人から電話やメールを貰ったのですが、なんスかね…大変な状況が続いてるからなのか、ただ単にオレが老化してきてて涙腺が弱くなったのか、今年は そのメッセージ一つ一つにグッとくるものがありました。
 また1年、体に気を付けながら、己に出来る背一杯をやり続け、一人でも多くの人に喜んで貰える仕事をする、それが自分に出来る唯一の恩返しだと思っています。

 そう言えば昔、年に何回も誕生日があるキャバ嬢の話を誰かに聞いたなぁと ふと思い出しましたが、そうか、こういうことか!、祝って貰うと嬉しいから何回もやるんだな・・・と思ったあとに「イヤイヤ…そうじゃないだろ?」というツッコミがすかさず入る攻防が 脳内で行われてましたw。

4月24日 土曜日

 ここ数年、毎年 クリスマス・イヴには映画関係者の方と打ち合わせしてるし、誕生日の翌日は必ず旅に出てる。
 偶然なんだけど、これが毎年同じようにスケジュール帳に書き込まれている。
 「今年はコロナも大変だから、もう無いだろうな…」と思ってたのだけど、なんと今年も1人で長距離の移動をすることになった。ホント不思議だ。
 <一つ年齢を重ねたら翌日から旅に出なければならない>って なんかRPGかファンタジー漫画のストーリーに出てきそうだ(間違いなく主人公は若くてカッコいいキャラだけどw)。

 丸8年で10.4万キロ走ってくれたドイツ車は、毎年どこか少しずつ調子が悪くなり、それを都度しっかり直す、という ”老いた相棒を労わる” 的なスタンスで付き合ってきた。
 昨年はドイツ車あるあるのオイル漏れもしっかり治して、常に綺麗な状態で走らせていたのだけど、さすがにシートが少しヘタってきたり、内装のパネルが浮いてエンジンの振動に合わせてカタカタ鳴ったりしてきたので、まだ元気に走ってるうちに手放すことにした。

 買い取り業者さんに売ることも考えたが、それよりも この手のクルマが好きな人で大事に乗ってくれる人を探せる業者さんに買ってもらった方が良いなと思った。
 たまたま新たに購入する先の社長が とてもクルマ好きな人だったので、「この人にお任せしよう!」と決め、東海地方まで自走して運ぶことにしたのだ。(自分ではソレを [セルフ・ドナドナ] と呼んでる:笑)

 久しぶりの東名で、アクセルを踏み込みまくったが、本当にまだ全然調子がいいし よく走る。
 あ〜なんか めっちゃ名残惜しくなってきたなぁ・・・と思った瞬間に、目の前に夕日に焼けた富士山がドーン!!
 最後にとっても良いお別れができた。

4月25日 日曜日

 車が大好きな人に ”大事に乗ってたんですね〜” と言われると「え?やっぱ判ります?」と顔がニヤける(笑)。
 乗って運んだドイツ車を預かってもらい、帰りはピカピカで しっかり整備された新たな相棒と帰った。
 
 「ど…どうも、初めまして…。・・・これから末長くよろしくお願いします。。。」・・・まだ そんな感じだ。

4月28日 水曜日

 1ヶ月弱後の完パケ納品を目指して、都内に戻ってからの3日間はスケッチしまくってた。
 かれこれ4年ほどのお付き合いになってきた映像作品のプロデューサーから、なかなかやりがいのある発注を貰ったので、ちょっと張り切っている(笑)。
 誕生日に ”おめでとう!!” というメールや連絡をもらうのは 凄く嬉しいのだけど、誕生日前日に発注を貰えることは もっと嬉しい(爆笑)。

 曲の方向性は、流行りのラウド・ロックにした。低音・低域ゴリゴリのオケに、少しボカロ寄りに加工した声がのるなんてエモいっ!!(言って見たかっただけw)カッチョイイ!! なかなかパンチある!と、想像しただけで楽しくなる。
今日からドラムを打ち込み始めたのだが、混ぜたキックの音がズドンズドン鳴るとドキドキするし、混ぜたスネアの音がスコンスコン鳴りまくると めっちゃアガるw。

 トシを重ねて最初の仕事、ええ感じなグルーヴのドラムが出来るまで頑張ってみようと思います。

5月5日 水曜日

 連休前にドラム・トラックの打ち込みは終わったので、少し寝かせてた。
 とは言え、ワインやウイスキーは寝かせれば熟成度が上がって美味くなるかもしれないが、ドラム・トラックだと そういうことは一切ないw。ただ、一旦離れて また聴き直す方が、色んなことに気づける場合もあると思う。

 いつもならGWと言えば人でごった返す都内やウチの周りも さすがに静かなもんで、髪を切りに行ったり 空港まで気分転換にドライブに行ったり 墓参りに行った以外は、ゴロゴロしたり ボーッとしたりして、老人のように過ごした(笑)。
 「さすがに もうソレじゃダメ人間になってしまうだろ?」と得意の貧乏性が発動したので、今日はベースの練習に時間を使った。
 「やっぱロックならオルタネイトじゃなくてダウン・ピッキングっしょ!!」ということで、BPM100の16分音符を必死に練習w。(手がツッて肩から下がモゲるかと思った…。)

 実は、外出自粛や巣篭もりと言われるようになって あまり外に出なくなったお陰で、ギターやベースが ちょっとだけ上手くなった気がする(うん、たぶん 気のせいだと思うw)。
 自宅の作業場にも、今まさに工事中の新しい別作業場にも何本ずつか楽器はあるので、何もヤル気が起きない時は 練習したりしてたんです(だいたい1年のうち2/3はヤル気が起きていない)。
 元々がドラムや鍵盤の人間だったので、ギターやベースのような弦楽器には少し苦手意識があったのですが、ここ最近はほぼ苦手意識なく デモの時など色々考えながら弾いて挿してます。

 が、今回は<ドロップDチューニング>。運指が・・・(苦笑)。
 一つ出来ると、また一つ課題ができる子なんです、オレ。

5月21日 金曜日

 セルフ・ドナドナした車が、兵庫県加古川市へ嫁いで行ったと連絡をもらった。
 娘を嫁に出す心境って こういう感じなのか・・・と思う。

 もう新しい車を自分のスタイルにすることに夢中だった。
 ごめん、お父さん 新しい女が出来て、その人に夢中になってたよ。
 ダメ親父だ(苦笑)。

5月24日 月曜日

 週末は、もう当分見たくないぐらいレスポールを弾き倒し、しっかりコロナ対策された外スタジオで 超ハイペース & スーパー少人数なヴォーカル録り(ほんと「コロナの馬鹿野郎〜」と言いたいぐらいです)をした。そのまま作業場に戻って、寝不足で朦朧としたまま エディットをしてエンジニアさんにデータを送った辺りから あまり鮮明な記憶が無いw。
 「データ確認しました」というエンジニアさんからのメッセージで飛び起きた。
 ら、まだ2時間弱しか経ってないことに気づいたのだけど、もう気合い入れて そこから起きて待機しておくことにした。

 夕方、めっちゃカッコいい作品が仕上がった。
 レコーディング・エンジニアは山内さん(Studio Little Dinosaur)、ミキシング・エンジニアは巨匠・森元浩二.さん(prime sound studio form) というベテランのお二方にお力をお借りしたお陰で、ちゃんと書き手の意としたことが しっかり反映されていて、しかも 想像していたところから さらに2歩ほど先を行く出来栄えにして貰った。

 喜び勇んでプロデューサーと監督に完パケを送信。
 この歳で、人生で初のドラマ主題歌w。
 BOSSのところに居た駆け出しの頃から「いつかドラマとか映画の主題歌を書いてみたいの〜」とは思っていたけど、40代後半で映画の主題歌、そして50を越えてドラマの主題歌を書くことになるとは思ってもみなかった。
 最近は、キー局だけでなく地方局も完成度の高いドラマ制作をやられているし、スマホ視聴できるドラマも多くなっていて、こうして媒体が増えたからこそ オレのところにもお話が来たのだろうと、時代の流れに感謝するw。

 色んなチャンスを頂けているので、まだまだ、しっかりと船に乗って 漕ぎ続けていかないといけないな〜と思います。頑張ります!!

いつもお世話になってるstudio Little Dinosaur さん。にて

働クオトコノウタ

3月19日 金曜日

 西のとある地方都市に新たに作っているスタジオの工事も、いよいよ終盤に差し掛かってきた。
 専門家の方やメーカーさんにアドバイスいただきながら 自分自身で設計し、壁や床の遮音処理から下地組みまで全て一人で行ってきたのだけど、時間をかけて丁寧にやった成果か、ここまでは なかなかのクオリティになっているんではないかという気がする。

 都内の作業場をメインで置き、その作業を”拡張できる場所”というコンセプトで進めているのだけど、もう一つ『日本一ミニマムで本格的なスタジオ』という隠れコンセプトみたいな目標もある。
 大きなスタジオや中くらいな使い勝手の良いスタジオは国内に数多あるけど、極小でしっかりしたスタジオというのにはお目にかかったことがない。
 昨年から続くコロナ禍の中で、多くの音楽家が不自由な思いを抱えて過ごしたのだけど、自宅に 今オレが作っているくらいの作業部屋が、それも自作で作れれば もっと精神的に楽になるんじゃないだろうかという思いもあって、あえて<極小スタジオ>にこだわった。
 実は、この作っているスタジオの隣には、わりと広めの録り部屋に改装できるくらいの部屋も余っているのだけど、今回は この極小スタジオを精度の高いものに仕上げ、作業の進め方からコストまでネット上で詳しく情報共有できれば、何か動こうとされる音楽家にとって少しくらいは役立つ情報になるかもしれないんじゃないかと思う。

 今日までで工事日数は延べで27日が経過した。
 午前中に軽天屋さんがボード貼りの現調(ここはプロにお願いする予定)に来られ、午後から防音ドアが届いたのだが、40kgを超えるドアを階段で運ぶのは 流石に骨が折れた。いや、骨は折れていないけど、でも死ぬかと思った。
 昭和の時代に建ったこのビルは、頑丈でスラブも厚いので 音的には凄く良いのだが、EVが無いので材料の荷揚げに本当に苦労している。その中でも今日の防音ドアを運ぶのは一番大変だったかもしれない。運び終わった後に鏡を見たら、顔が白くなっていたので、そこそこな臨死体験をしたんだと思うw。

 早速 開梱して取付けをしようと始めたのだけど、心も体も疲れきってしまいスグにやめた。
 こんな感じなんで、工事日数がどんどん伸びる。

3月25日 木曜日

 壁の下地が完成し、しっかりした作業部屋らしくなった。
 現調に来られる内装屋さんが口々に「こんなしっかりした防音ルームは初めて見た」と言ってくれるのがとても嬉しい。もしかするとオレは曲のアレンジをするよりも大工仕事の方が上手くなってるのかもしれないw。

 調子に乗って、元々の予定にはなかったフローリング貼りも自分でやってみることにした。
 これも失敗だった。
 発注したフローリング材が運送業者さんの荷台渡しという変則的な発送方法だったのもあるが、材料が長い(荷揚げが大変)、硬い(キッチリ貼らないと上手く仕上がらない)という上に、「水気厳禁」という厳しい条件もあり、パンパンな吸音材で囲まれた素晴らしい断熱機能を持つ狭い部屋での作業には向いてないんじゃないかというような素材を発注していたからだ。

 ポタポタと滝のように滴る汗が、下地のコンパネやフローリングに水玉柄のように落ちて止まらない。
 1枚貼っては遠くの景色を見つめ、無言になる。
 寒いよりかは暑い方が好きだが、”暑すぎる”のは嫌いだ。

4月1日 木曜日

 世の中全体に閉塞感が漂っているからか、今年はエイプリル・フール的なおふざけをSNSなどに投稿する人も少ないような気がする。
 個人的にはこんな時だからこそ少しくらいふざけて笑えるような出来事があるといいなと思うのだが、どこで誰に突っ込まれたり怒られるか分からないので、オレ自身も自重することにした。

 数年前に「もんじゃ屋を始めました!」と投稿した際は、なぜか本気にする人が多く”おめでとうございます!!” とか”お祝いを送りたいので住所を教えてくれ” とかの連絡がたくさん来たりして、嘘なんか吐くもんじゃないなと思ったのだけど、毎日ニュースで明るいニュースがなかなか無いので、ついつい嘘の一つでもついてみようかなという気分になる自分が不謹慎野郎なのかもしれないなと思う。

4月5日 月曜日

 20年前、まだ ほぼ何の実績もない駆け出しのヒヨッ子プロデューサーだったオレが一念発起してコンピレーション・アルバムを作ろうと奔走した。
 当時、地元でラジオ番組を何本かやらせて貰っていたのだけど、その中の1つに音楽番組があり色んなアーティストさんの作品を紹介させていただいてたのだが、やってるうちに「こんなエエ曲が世の中に浸透してないのか」とか「こんな名作が何で売れてないんだ?』という疑問というかわだかまりのようなものがずっと心にあって、「いい曲が売れるとは限らないという世の中」に少しでも抗いたいという気持ちから ”なら、オレがアルバムを作って宣伝も全部やってやる!” とカンチガイしたのがキッカケだ。

 上京以降に仲良くさせて貰っていたアーティストさんや、ライブに足を運んで「お!」と感じて直接お願いに行ったアーティストさんなど次々に参加してくださるアーティストが決まっていったが、その並びがとても美しく、逆にその美しすぎることに「自分らしくない気がする」違和感が生まれて、どうしようかと悩んでいた。

 生放送と収録で毎週に近いくらい地元には帰っていたのだが、その折に地元では知らない人がいない天才アナ・横山雄二さんと飲む機会があり、酔った勢いもあってその違和感について相談させて貰ったら「オレらで出来ることなら何でも手伝うから言って!」と言ってくれた。

 当時、横山アナは深夜帯でありながら視聴率が10%近いお化け番組<Ken-jin>というレギュラーをされてて、その中でKEN-JIN BANDというユニットをやっていた。
 全国区の番組でユーラシア大陸横断をして、その後少し人気に翳りの見えた猿岩石のお二人を「地元が応援せんと誰が応援するんじゃ!」とレギュラーで出演させ、挙句にはCDデビューまでした。
 そんなKen-jinファミリー(スタッフ含めて横山アナがこう呼んでいた)やKEN-JIN BANDがゲラゲラ笑いながら番組や音楽作品を作っているキラキラ感が 当時全く売れてなかったオレには羨ましく、「自分もその中に入ってゲラゲラ笑いながら楽しい音楽をやってみたい」という思いもあり、アルバムの並びに何か違ったカタチの化学反応を起こしたいという思いもあって参加をお願いしたところ、横山アナは「全てヨッシーに任せるから!」と言ってくれた。

 喜び勇んで都内に戻り、BOSSに報告したら一言、「アーティストに何を歌わせるか、だな。そこまで考えてオファーしないとプロデューサーではない」とバッサリやられた。これは かなり堪(こた)えた。
 心の深いところをエグられた感触のまま、事務所の鍵を借りて 毎晩 渋谷のTSUTAYAと事務所を往復し、金も無いのに毎晩 数十枚のCDを買い、色んな角度から「何が良いのか」を必死に探った。
 何日か事務所に泊まり込んで、ある朝、「コレだ!」という1曲を見つけ、事務所のテーブルの上にBOSS宛てのメモと音源を置いて久しぶりに家に帰った。

 翌日の昼過ぎ、ドキドキしながら事務所に行くと、オレが書き置きしたメモの裏にBOSSから『グレイト』の一言。

 その曲は、あれだけTSUTAYAに通って買いまくった100枚近いCDの中ではなく、自分が音楽プロデューサーとしてトボトボ歩いて来た短い道のりの中にあった。

 この2年半ほど前に村下孝蔵さんが亡くなり、ご縁あって生前の村下さんが亡くなられる2ヶ月ほど前に出演された最後のラジオ番組の同録を、全国の村下さんゆかりの方々へ届けたのが、オレのプロデューサーとしての最初の動きだった。
 その村下さんが高校を卒業後 音楽活動をされてたのが地元・広島であり、その広島で今アツく活動してるKEN-JIN BAND、そしてオレ・・・何か1本に繋がった気がした。
 そんな彼らに歌ってもらうのは【初恋】以外ありえないと何故か思った。

 そして、その【初恋】の編曲を、同じく広島出身であるBOSSにお願いし、《初恋 tuned by 243》というタイトルを付けた。


 その後も、トントン拍子に進んだ訳ではない。
 生前の村下さんとご昵懇だった方や、ファンクラブを運営されてる主だった方々にお願いに行ったのだが、当時は「芸人さんと局アナのユニットが村下さんの名曲をカバーするなんて」的な反応だったのを、一生懸命にお願いし、必死に熱意を伝えてようやくご了承いただけたり、番組ディレクターと何度もやり取りを重ねたり、「プロデューサーって こんな事までやらんといけんのんかぁ〜…」と思ったことも一度や二度ではなかったが、少しずつ何かに近づいている感覚もあって、とにかくガムシャラだった。

 BOSSによる編曲があがって、初めてオケを聴いたとき、泣いた。
 歌録りは、当時 事務所から歩いて1分の場所にあった<studio 243>で行われ、2日かけて3人のパートを録り終えた。
 当時、横山アナが「10年、20年後の自分たちが聴いても色褪せてないものが作りたい」と言われていたが、今聴いても まさにそんな作品になっている気がする。

初恋 tuned by 243 / KEN-JIN BAND



 この作品がきっかけになり、2年後の<ロケット / 働クオトコノウタ>のプロデュースに繋がるのだが、このシングルはオレにとって初めてのシングル・ヒット(たしか20数週 連続TOP10入りだった)になり、オレの作家人生の扉を開いてくれた作品(劇団ひとりさんと共作)になった。
 今でこそ名前を冠した十数本の番組を持ち テレビで観ない日は無いが、当時 人気に翳りのあった芸人さんを「面白いんだ」とレギュラーで使い続け、また「全て任せる!」と丸投げした全く無名の実績も無い音楽屋が、20年を越えた今も細々とであるが業界の片隅で生き残れてるんだから、横山アナの慧眼には恐れ入る。


 週が明けた今日も朝からキー局の情報番組では結婚のお祝いムード一色だ。
 自分のことのように喜んで番組を進行されてる芸人さんの表情を見てると、オレも色んな思い出が蘇ってくる。
 中でも<働クオトコノ〜>の作詞を彼がする時、毎晩 お互いに電話の子機をフックONにした状態で、何時間も涙を流しながらヒーヒー笑い続け「やっぱ天才じゃ(笑)!!」と何度も彼に言いまくった4日間ほどが、本当に楽しくて仕方なかった。

 <働クオトコノ〜>の歌詞みたいにならないようにw、末長くどうかお幸せに!
 ご結婚、本当におめでとうございます!!

働クオトコノウタ / KEN-JIN BAND 作詞 / 有吉弘行 作曲 / 劇団ひとり・山元淑稀 編曲 / 萬Z(量産型)








誰か教えてくれよ〜・・・(凹)

2月24日 水曜日
 「勝つ」ために何をすべきか、ということよりも「勝たせる」ために何をすべきか、の方が遥かに難しいなぁと痛感した。
 元プロで4戦したことのあるボクサー、現在は同業者ということもあり、飲んだりメールのやりとり等でボクシング談義をする仲間がいて、その彼が「試合に出たい。セコンドについてくれないか」というので一緒に練習したり、オレの同門で社会人ボクサーとして頑張ってる友人にスパーリングパートナーをお願いしたりして試合に臨んだのだが、1回RSC(公式記録は1R TKO)で負けた。
 奇しくも負けた相手も同業者で、相手はその日がデビュー戦。デビューまで3年間みっちり練習をして初試合のリングに上がった相手に1Rで2回のダウンを奪われて終了。試合終わりでスパーリングパートナーを務めてくれた友人と飲んだのだが、レモンサワーがいつもより苦く感じた。たぶん気のせいだと思うw。

 相手選手は練習動画がWEB上に上がってたりしてたので、それを観て技術的には負ける要素は無いんじゃないかと思っていたし、元プロの仲間も「間違いなく勝てる!」と思っていたと思う。
 負けた原因は、3年間コツコツと積み上げてきた拳と 試合前1ヶ月程度で作ってきた拳の『拳の重さの圧倒的な違い』だったんだろうなと試合終わりの中華料理屋で友人と話した。

 元プロの仲間は、現役時代には誰でも名前を聞けば知っている名門ジムの会長肝いりで中学生からボクシングを始め、その才能を買われて4戦やった後メキシコにボクシング留学させる話まであったほどの才能を持っていた選手。
 対して相手選手は、ボクシング初挑戦とはいえ体幹も強く、悪いところを言えば色々あるけどそれを上回るパンチ力とスタミナを持った選手。
 元プロの仲間と試合前日にメールでやり取りした際に、3Rを通した試合プランの確認をした後、オレは「必ずブッ倒すと決めてリングに上がれ」と伝えたのだが、彼は「倒すとかより”自分のボクシング”をやり通して勝つ」と返してきた。その時になぜ「そんな緩い気持ちじゃダメだ」と言えなかったんだろうと試合が終わって後悔した。

 オレがセコンドについた仲間の試合の次にリングに上がった選手は、強烈なカウンターを貰って失神し、控え室に戻ってきてからゲーゲー吐いていた。
 その次の選手は、1R1分40秒で相手をKOして控え室に帰ってきた。

 倒すつもりで3年間しっかりと拳を作ってきた相手の「どんなことをしても勝ちたい」というガムシャラな気持ちに勝るものなどこの世にない。
 縄跳びしたり、鏡の前でシャドウしたり、サンドバッグ叩いたり、誰も褒めてくれない地味でストイックな練習を積み上げてリングに上がり、フルでやってもたった11分で自分がやってきたことへの結果が出る社会人ボクシングは、勝ちたい気持ちのより強い方が勝つんだろうなと思う。
 そういうスポーツだからこそ、”勝たせる”って本当に難しい。。。

3月9日 火曜日
 都内はまだ緊急事態宣言の真っ只中だけど、感染者の少ない地方都市では7割がた経済が回復してきたという。
 オレ自身は今年に入ってから都内を離れて感染者の少ない場所で仕事をしていたこともあって、安心だと思われたのか地方での打ち合わせが増えてきた。
 当然、移動などは消毒液も持参して細心の注意を払うし、夜などは会食のお誘いも極力お断りするのだが、1・2月わりとヒマだったので、仕事のヤル気がハンパないw。
 決定ではなくとも、仕事が動き出すと身体にも良い緊張感が漲ってくるような感じもするし、クライアントから何件も声をかけて貰えることが有り難く、「まだ世の中に求められてるんだ…良かった…」という安心感もある(笑)。

 今回の出張は、5日間で4つの地域をハシゴして打ち合わせするというスケジュールなのだけど、コロナ禍で変わったのか、朝8時半や9時には会議や打ち合わせがスタートするスケジュールな毎日なので、7時にはいつも起きてるという音楽関係者らしからぬ日々を送るようになるだろう。
 「7時に起きるということは・・・」と考えて、逆算して寝る時間を割り出したりもしたが、よくよく考えるとホテルに戻ってからも翌日の準備などしてると そんなにゆっくりと寝る時間が無いことに気づいた。

 でも良いのだ。個人事業主にとって”仕事が動く”ことがどれほどの喜びか(歓喜)。
 年齢を重ねれば重ねるほど、仕事をもらえる有り難さが身に沁みる(笑)。

3月13日 土曜日
 どうやらオリンピックは開催されるらしい。
 「この状況下で、どうやって感染リスクを抑えながら開催するんだろう?」とも思ったりするけど、そのお陰で無くなったと思っていた仕事が復活するかもしれないという可能性も出てきたので、一度 都内に戻ることにした。
 早起き・寝不足だった5日間の出張は、まだまだ練らなければいけないことも沢山あるけど、楽しみなことも増えた。

 都内に戻ることを出張中に決めたので、戻る道中に途中下車して寄り道することにした。以前から気になっていたウェイクボードの元プロが経営されるガレージに寄ったり、コロナの蔓延以降すっかりご無沙汰しているクライアントのご担当に会ったりしてきた。
 こうして動くと、また新たな面白い話なども出てきて、今年なのか来年なのか、それらがカタチになればいいなぁとワクワクする。

 久しぶりに泊まった天守閣の見えるホテルをチェックアウトして「さて、都内に戻るか!」と意気揚々と移動したのだが、ホテルの部屋を出てから新幹線に乗るまでの約2時間、デニムパンツのチャックがフル全開だった。
 この出張で一番の大事件であり、ショックな出来事。誰か教えてくれよ〜・・・。

3月16日 火曜日
 今週に入ってから、続々とお久しぶりの方々から連絡をいただくことが続いてる。
 十数年振りに声を聞く人、6年振りの人、メールなので声は聞けないがおそらく9年ぶりくらいの人、と2日ほどの間に3人の方から、それもいきなりなんの前触れもなく連絡が入ると「あれ…オレってもう死ぬのかな…」などと不吉なことも考えてしまう。
 あまりに短い間にそういうことが重なるので『何年も会ってない人 立て続け 連絡があった』でググると、どうやらそういう偶然が続くことを<シンクロニシティ>というらしい。

 そこで、その<シンクロニシティ>についてまたググってみたのだけど、それについて説明しているサイトの説明があまりにも長すぎて、
   「シンクロニシティとは、どういった事例のことを言うのか、そしてどうして起こるのかについて心理学の観点から詳しく説明します」
 という部分まで読んで、それ以上読むのをヤメた。
 おそらく・・・いや、きっと ”ただ単に偶然が重なっただけ” だろうなと思う(笑)。
 あ〜美味いお好み焼きが食べたいな。。。

東日本大震災から10年を迎えた瞬間は、出張先の駅のホームでした。
ホームのベンチに座って黙祷させていただき、亡くなられた方々のご冥福や、
今もなお行方不明になってらっしゃる方々の1日も早い発見をお祈りさせていただきました。

「震災から10年」という報道の一区切り感に違和感を覚えながら、
それでも、こうして報道されることによって、我々日本人の防災意識が少しでも向上したら
良いなと心から思います。

この写真は、震災から3週間後の女川の町です。
当時、物資のご支援などでお世話になってた方から「石巻や女川に行くなら、行けない自分たち
に現地の状況がわかるように写真を撮ってきてくれないか」と言われ、撮った中の1枚。
その時は、津波に飲まれたにも関わらず満開に咲く椿の強さに驚いたりもしましたが、
数年前までは、カラーで現像したりカラーデータを見たりすることが出来なかったものです。
今でもこうして見ると、当時の記憶や色んな感情が溢れそうになり、なんとも言えない気持ちに
なりますが、自分の中に今も残る感情や記憶ときちんと向き合い、震災から学ばせてもらった
教訓や知識を忘れず、防災意識をしっかりと持って生きて生きたいと思います。

合掌

その場の勢い

2月1日 月曜日
 「1月は往ぬる2月逃げる3月去る」の ”往ぬる” をずっと方言だと思っていた。
 昔よくジイちゃんが『そろそろ往ぬる(帰る)で』と言ってたりもしていたんで、絶対に西の方言だとばかり思ってたんだが、ググってみたら <いちげついぬる・にげつにげる・さんげつさる>と読むらしい。「正月から3月までは行事が多く、あっという間に過ぎてしまうことを調子よくいったもの」ということらしいのだが、 ”往ぬる” が方言じゃなかったことより <いちげつ・にげつ・さんげつ> と読むことに衝撃を受けた。
 日本語って美しいけど色々面倒だなと思う。

2月2日 火曜日
 明日は立春だが、2月3日が立春なのは実に37年ぶりのことらしい。
 その前日である今日が節分なのだが、なんと2月2日が節分なのは124年ぶりらしい(笑)。
 文末に「(笑)」と書いたが、そりゃもう笑うしかないでしょ。
 だって、現在の日本最高齢でギネス世界記録保持者である “田中力子 (タナカ・カネ)” さんが118歳、この124年ぶりと言われる2月2日の節分を経験した人が世界中どこにもいないという…。
 
 124年前を『1897年(明治30年)の出来事』とググったら、最初に「主な出来事 2月2日-地球の公転周期に微妙なずれが発生し、2月2日が節分となった」とサラッと書いてあった。
 もちろんWiki上の文言なので、どなたかが執筆された文章だとは思うけど、”えっ!? そんなサラッと言うこと?” という思いが沸々と湧いてくる。ただ、「それ以上のことを詳しく調べてみよう!」という気にもなれず、1987年の124年前が節分だったかどうかについては、闇の中へ葬ることにした(笑)。

 コンビニやスーパーに行くと、恒例の『鬼の面が付いた豆』が売ってるけど、この緊急事態宣言下・外出自粛期間に家の外で豆まきをするご家庭はあるんだろうか?少なくともウチの周りではそんな声は聞こえないので、この辺りではやってないみたいだ。
 もちろんオレも独りで豆まきをする度胸なんて無い。いや、”度胸” とかじゃないな、あとで玄関周りの豆を掃除するのが面倒なだけだと思う。
 こうして日本の美しい風習がどんどん消えていく(苦笑)。

2月5日 金曜日
 amazonでDTM用のHDDをポチろうとしてたら「あなたへのオススメ」的な表示が出たので見ると、Wi-Fiを経由して家の中を写す監視カメラがリストアップされてた。
 スマホ対応で、外出中でも家の中の様子が確認できるというシロモノだ。
 昨年はあちこちに行く機会が多く、長いと1ヶ月近く家を空けてたこともあったので『エエな…コレ』と思った瞬間にポチった。
 当分どこか旅に出るような予定もないのに・・・。
 その場の勢いって怖いなぁと思うw。

2月16日 火曜日
 コロナ禍の中で多くの企業が「テレワーク」に移行し、都心に聳え立つ自社ビルが不必要なものだとして 大きな企業さんらが新たな業務体制を模索し始めてから もう1年近くが経つ。
 世の中全体が停滞している中でもまだヤれる仕事があれば良い方で、エンタメ業界なんて停滞どころか衰退に近い状態が長く続いている。
 過去にお世話になったレコーディングスタジオも業務終了するところが増え、メジャーメイカーでバリバリとヒットを飛ばしていたディレクター達も「退職します」と なかなか少なくない人数から連絡を貰ったりしてショックを受けると同時に「そういう時代なの?どうなん?」という思いが湧いてくる。

 SNSの飛躍的な普及や動画サイト利用者の増加によって、もう数年前から一部では ”大きな事務所で音楽やらなくても良いんじゃないか” とか ”メジャーで活動することを目標にしなくていいんじゃないか” という風潮にはなっていたのだけど、それだけでは無くて「ディレクションも自分で(セルフ・ディレクション)」、「マネジメントも自分で(セルフ・マネジメント)」、という新たな動きを 我も我もと真似しはじめ、元々あった<メイカー>や<ディストリビューション>や<プロダクション>というビジネスの枠組みに横穴が開きはじめている。
 そりゃ才能に溢れまくっている人は、全てを自分でやった方が、変な手垢もつかず純粋にその人の思い描いたカタチがリスナーにダイレクトに届くだろうけど、誰もがその形で成功するなんて有り得ないし、もっと言えば 勘違いしたアマチュア気質の人の散漫な作品がネット上のあちこちに散らばるって、考えただけでも ちょっと怖い(苦笑)。

 オレは個人的に『ジャッジメントする人やディレクションする人は居た方がいい』派なので、なんでもかんでも自分自身で行ってハイクオリティな作品が作れる人なんて全体の1%もいないと思ってます。
 そりゃ時にはジャッジメントする人がウザかったりメンドくさかったりするから、いない方がいいなぁと思ったりもするけど(作品を作ってる時は毎回ずっと思ってるw)、やっぱ独りで完結したものは なかなか大勢には届きにくいと思うのですよ。
 SNSや動画サイトなどが「大勢に届く ”可能性のある” 媒体」として存在してるけど、あくまで ”可能性がある” というだけの話だから。
 最初から最後まで全て自己完結で、その作品が動画サイトやSNSを通じて広く世の中に知られるケースもあるけど、そんな力のあるアーティストは一握りで、そういう人たちは もしSNSや動画サイトが無くても 何かのカタチで必ず広く知られる存在になると思うのです。

 ・・・みたいなことをジットリと考えながら、ここ数日は工事現場で4ヶ月ぶりのアレコレをやってます。
 オレ自身も、これからもう10年、もしかしたら15年、みたいな先を考えながら、音楽屋として生きる形を模索する、そんな必然的なタイミングなんだと思っています。

2月22日 月曜日
 まだオレが駆け出しどころじゃ無く この業界でヨチヨチ歩き出したくらい・・・20年近く前になるのですが、当時 「世の中にまだ知られていない名曲を、より多くの人に聴いてもらえる方法はないか?」と考えて、自分が担当していたラジオ番組から得た発想をコンピレーションアルバムに落とし込み、その連動企画として「コンパイルさせて貰った作品を書いたシンガーソングライターさん達の歌を生で聴いて貰う」という『オムニバス・ライヴ』を、アルバム発売の16日後からスタートさせた。
 毎回4〜5組のアーティストさんに出演してもらい、幕間にそのアーティストさんの曲や歌い手の人となりについてオレがマイクを持って舞台の隅で語る・・・そうすることによって転換の時間もライヴ全体の構成として考えられるし、目当てのアーティストだけ聴いて帰るお客さんも少なくなるんじゃないか…という、当時としては”ちょっと変わったライヴ” だった。
 そのうち、出演してくれたアーティスト全員で最後に数曲ほどセッションしようという流れになり、『複数のシンガーソングライターが数組でオムニバス・ライヴをやって、最後に全員でセッションする』というカタチは、その後 都内の多くのライヴハウスで同様なイベントが始まったり、全国に波及して行ったことを考えると、池尻の事務所の天井付近を、タバコの煙でモクモクにさせながらオレと部長で頭をヒネリ倒して出したアイデアは かなり画期的だったんだなと思う。

 そのイベント・ライヴの記念すべき1回目は、六本木の某ライヴハウスが こけら落とし公演を終えた翌日だった。
 1回目ということもあって、確か5組ほど出演して貰ったと思う。今では毎日テレビで見ない日は無いくらい売れっ子大御所になっている人も楽曲の縁で出演して貰ったりもしたんです。キャパ200人の小屋がパンパンどころか札止めになるんじゃないかと思っていたのだけど、その日来てくださったお客さんは60名程度。
 リベンジだ!と意気込んで開催した2回目は50人を切ってしまった。。。

 その2回目を開催した本番中、歌い終わったアーティストさんが袖にはけ、入れ替わりにオレがマイクを持ってステージに立つ。今 歌い終わったアーティストさんについて一言二言と語りはじめたその時、客席奥の螺旋階段に座った大きな体の男性がオレに手招きしている。(本番中よ!! 本番!)
 「え?コレ今すぐ行かないといけない感じじゃん…」とただならぬ雰囲気を感じたので 喋りを早々に切り上げて、ステージから降りてそっちに向かう(本番中よ!! 本番!Part2 w)と、手招きしていたのはBossと懇意にしていたプロダクション社長。見た目がめっちゃイカツい人なんです。
 その社長がいきなり「おい、今すぐこの小屋の全部の入り口に鍵かけろ!絶対に一人も帰らせるな」って超真顔で言われるので「え?・・・え?マジっすか…」みたいな状態 & 直立不動になってしまったのだけど、そのあと 社長から『今日の40数人のお客さんを何年後かに1000人に増やす方法』というのを とてもシンプルに、そして心の底の汚泥を全部掻き出した先の底に届くんじゃないかくらい優しくまっすぐな言葉で語って貰った5分間があったお陰で(もちろんその日から言われた通りに実行)、実はこの4年後に このライヴ・イベントは数千人を動員するイベントになってるという嘘のようなホンマの話があるんです。

 その後、そのイカツい社長とお会いする機会がいつのまにか減って行って(なんでなのか未だにわからない)、少なくとも16〜7年くらいご無沙汰してたのですが、ひょんな事から今日 またご縁をいただきまして。
 「あれから20年くらい経ちましたよ!」って伝えたら、『20年ってすごいね。お互い元気で良かったよ^^』と。
 ”お前、今ナニやってんだ?” でもなく、 ”まだ音楽やってんのか?” でもなく、「音楽やってて当たり前だろ」的な温度で『お互い元気で良かったよ』というロケンローなメッセージ、めっちゃ嬉しかったなぁ。


「少しずつ暖かくなって来てるなぁ」とか思ってたら、昨日と今日は鬼のように暑かった…(汗)。。。

「ほぼほぼ◯◯」

 この短いBlogを書き溜めておく方法は、今のところ自分に合ってるような気がする。
 もちろん「今のところ」限定だけど。
 作業の合間の気分転換にもなってるし、これはコレで良いのかもしれない。
 いつまで続くかわからないけど、「いつまで続くか分からないちょっとヒヤヒヤした感じ」もBlogの醍醐味だと思うことにするw。

 

 

 

1月20日 水曜日
 ずっと「時間が無い」を言い訳にしていたことを、まとめて全部やっつけておこうと一念発起。
 年末に買ったMac miniのOSダウングレード(意外に手順が色々面倒臭い)、もう何年もどこかに埋もれてしまっていたWAVES V9時代のプラグイン発掘(これも最新のWAVES Centralと並行して走るようにしないといけないのだが、マニュアルを読むのが面倒臭くてずっと放っておいたw)、など挙げればキリがない。
 1件につきおそらく1〜2時間程度で終わるものばかりだが、「後でいいか」と思ってるうちに溜まりに溜まってしまい、全てをやり遂げるには2〜3日かかってしまうところまで積み上がってしまった(苦笑)。
 が、男たる者、「やると言ったら必ずやり遂げる!やり終えるまで絶対に寝ない!」と固く決意してPCと向き合う。
 やり始めてみると、そこまで複雑な手順は無く(OSのダウングレードだけ何度かトライしなければならなかったが)、わりとスイスイ進むのでちょっと拍子抜けした。
 「こんなことなら、もっと早くやっとけば良かったんだよ。なんでやってないの?」と数十日〜数年前の自分を心の中で罵倒しつつ、2つ、3つ、4つと片付けていたはずなのだが、エレピの鍵盤の角に頰を思いっきり打ち付けて目が覚めた・・・最悪だ。

 Macでソフトウェアのインストール中に出てくる、あの棒グラフみたいな細長いインジケータ、あいつには睡魔を増幅させる何かが間違いなくある。
 結局、丸3日かかった。

 

 

1月24日 日曜日
 三が日が明けて少しした頃から、毎日寝る前に1本映画を観る日々が続いている。
 邦画・洋画のこだわりなく観たかった作品や見逃していた作品、ネット上でタイトルに目を惹かれて監督やスタッフのクレジットを見て選んだ作品など多様で、観る順番もバラバラだ。
 そのうちの1本に『最高の人生の見つけ方』という作品を観た。
 1年ちょっと前にアンソニー・マラス監督の「ホテル・ムンバイ」という作品を劇場で観た際に、この作品の予告編が流れ、その後 NHKの プロフェッショナル〜仕事の流儀〜 でも主演の吉永小百合さんのドキュメンタリーが放映されていたので「これは絶対に観ないと!」と思っていたのだけど、公開期間中は制作作業中で観に行くことが叶わず、その後 右肩の腱が切れたりしたこともあって、結局観れてなかった作品だった。
 ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマン主演だったハリウッドのいわゆるウェルメイド作品のリメイクなのだけれど、NHKのドキュメントで観た時の吉永小百合さんの熱量がハンパなく、まだ作品自体を観ていないその時でさえ「NHKさんホンマにありがとう」と思うほど大きな刺激を受けていたので、本当なら劇場の大きなスクリーンで観たかった(涙)。

 吉永小百合さん、、、物凄いエネルギーでした。
 生活の大部分を”役と共に生きる”ために過ごしていると番組で仰ってたけど、74歳(撮影当時)という年齢を一切観る側に感じさせない、もっと言うと50代後半くらいの年齢をごく自然に演じてらっしゃりながら、且つ観る側を引き込んで離さないお芝居をされていて、観終わった後もその余韻からなかなか抜け出せませんでした。
 そのあと我に返って自分のヒヨッ子さや半人前さをこめかみが痛くなるくらいまで痛感。
 なかなかこんな背中が床につくまで倒されるような作品って無いんですが、、、。
 音楽は上野耕路さん。音もとっても良く「今度ちょっと真似してみよう」と思うような手法もあったりして、年始早々に良い勉強になりました。

 

 

1月28日 木曜日
 2日ほど前に、先日の検査結果が出た。
 去年は、今と同じように外出自粛や非常事態宣言が出たりしていたので受けていないが、なんと2年前に受けた健康診断のときよりも全てにおいてかなり数値が良くなっていると聞いて驚いた。
 ボクシングをやりに行ってどこかを痛めたり、そこで練習している皆さんの前でヒーヒー酸欠っぽい自分を出したくないので、毎日摂取するものを多少考えたり普段から適度に体を動かしたりはしていたが、内臓から何からの数値全てが健康そのもので『全く病気の心配ナシ』と先生にお墨付きをもらった。
 前回のとき、初診料と検査費用でシールドと安いエフェクターが買えるくらいの支払いだったので、お会計の時にちょっと身構えてたのだが、「351円です」と言われた瞬間に、なんだか凄く得をした気になった(笑)。
 ”病は気から” と言うが、これぐらい診察料が安いと もっと健康になれそうな気がするw。

 

 

1月29日 金曜日
 海を越えてやってきた病原菌のせいで、依然としてスケジュールがはっきりと決まらない。
 おかげで、ヒマなんだか切羽詰まってるのかよく分からない日々で、「締め切り日が未定、もしくはこの仕事は無くなるかも」という状況は、機材の電源スイッチを押すこと一つから気合いの入り方が違ってくる。
 そんなモチベーションの在り方は、「求められて書く」職業作家として悪くはないことだとは思うけど、駆け出しの頃、求められてもいないのにデモを作っては あちこちの音楽出版社やメーカーのディレクターにプレゼンしに行ってた頃から比べたら贅沢すぎるくらいの待遇であることは間違いなく、『ウィルス禍ごときでコロコロとモチベーション変えんな!! 』と心のビンタを5〜6発カマしてから作業をスタートするのが最近のルーティーンになっている(笑)。

 気分屋・気まぐれ・面倒臭がりの典型的B型体質は、地元にいた頃から・・・いやおそらく物心ついた頃から何も変わっておらず、東京に出てきてこの仕事を始めた頃からその感情のコントロールが一番の問題だったと思う。
 ただ、田舎の山奥から切り出したゴツゴツしまくりでイキりまくりの硬い石も、都会のあちこちで転がされ、削られ、磨かれ、時には色付けまでしていただいて、だいぶ丸くなってきたなぁと感じる場面が増えてきた。
 ”帰ってきたら先に宿題やってから遊びに行きんさいや〜っ!!(怒)” と言われまくっていた小学生の頃の自分に、その後この性格のせいでどれだけ失敗するのか、今だったら優しく教えてあげられそうな気がする(笑)。

 そんなオレも、「音楽で、東京でやりあげちゃる!」と変なカンチガイをして上京してから今年で20年になる。
 2000年に初めてBOSSと出会い、その後 何度かメシをご馳走になったり朝まで飲んだりして、「よっしゃ!! 東京行って天下獲ったろか!!」とそれまで地元で少しずつ積み上げたメシの種もすべて置いて、BOSSの元で経験も人間関係も全くのゼロからスタート。
 東京で初めて出来た友人<作詞家・阿閉真琴>も、BOSSの家で晩メシを食いながら紹介してもらってからの仲で、当時の彼は平井堅さんの<楽園>が前年にヒットし、売れっ子作詞家としてすでに活躍していて、地方から出てきてまだ何の実績もない無名で無謀なオレより一歩も二歩も・・・どころか数百kmぐらい先を歩いていた頃からの付き合いだから、彼とも20年来の仲になる。
 その後、阿閉くんとは二人で日本列島を縦断するくらいの旅をしたこともあるのだが、その話はとても長くなるのでまた機会があればw。

 とにかく、楽しくてオモロくて、大腸が6回転ぐらいするほど悔しい想いや あんまり思い出したくないくらいの悲しい出来事も数え切れないくらいあったけど、でも、あっという間の20年だったなぁ…『なんか、あの頃とはまた感覚の違う、ソコソコちゃんとしたスタート地点に立ってる気がする!』と やっと自分の状況や状態を、少し生ぬる〜い俯瞰(そりゃB型なんで自分に甘いですよ!)で見ながら言えるようになった気がしてますw。

 《勘違いの塊》と言われて20年、まだ未だに勘違いばかりしてるような気もしますが、今となっては「もう一生《勘違いの塊》でいいかなぁ」と(もちろんエエ意味でですよ)。
 きっと明日も、機材のスイッチを入れる前に 心のビンタをカマシてから作業スタート!・・・いや、いつもより多めにカマしたろうかなw? 21年目を普段と変わらずに始めます。

 

 ちょっと前に秋葉原に行ったのですが、お店の店員さんが使う『ほぼほぼ・・・』という言葉が 耳にも気持ちにも引っかかり過ぎて困ってます(苦笑)。

 

気力と体力


 どこまで続くか分からないけど、ふと「気づいた時に短い文章を書いて”下書き保存”しとけばいいんじゃね?」と思いついたので、少しずつ書き溜める方法を試してみることにする。(脚本家の足立 紳さんのコラムをお手本にさせていただいた)
 今年初めてBlogを更新した際に『いくら何でも1年振りってのは無いよなぁ…』と少々反省したからだ。
 しかし反省したからといって小マメにBlogの更新など簡単に出来るモンではない。
 <忘れられた頃に更新する>というのもBlogの醍醐味だと思うことにする。



1月11日 月曜日
 緊急事態宣言の真っ只中だけど成人の日だ。
 殆どの自治体で式典が取りやめになってるが、それでも強硬に実施しているところもあるらしい。
 「感染が拡がったらどうするんだ?家族に高齢者のいる新成人もいるだろう。クラスターが起きて誰か亡くなったら誰が責任取るんだ?」という意見もSNS上にあった。
 そうだ!そうだ!と思いつつ、でももし自分が老人で、孫が新成人で、何年も前から振袖や着物を買ってやってたのに式典が取りやめになったらどんな気持ちになるだろう?とふと思った。
 「おぅ、ワシら重症化する可能性がめっちゃ高いけぇ、無くなって良かったよ」と言うか?絶対に言わない。
 「残念じゃのぅ。式典が無いなら家でお母さんに着付けして貰うて家族で写真撮ろうや。それでエエじゃないか」って言うか?絶対にそんなクソみたいな慰めは言わないだろうな。
 「成人式ぐらいやっちゃれぇや!一生に1回じゃないか。出席した人間に誓約書を書かすとか、何かやり方は無いんか?自分らの時は成人式に出て大騒ぎしたくせに」ぐらいの悪態は最低でも吐くと思う。

 自分の成人式の時を振り返ってみた。
 朝まで仕事して、家に帰ってシャワー浴びて、ド派手なシャツ、足の甲が引っかかるくらい裾の絞られた別珍スーツ、貝塚の地層ぐらい革を重ねまくったスウェードの靴・・・など上から下までFicceでバチバチにキメて、”写真を撮るから1回帰って来い”と何度もお袋が電話してきてたので「うっさいのぅ…」と言いつつ実家に寄ってから同じ職場で働いてたツレに迎えに来て貰って式典の会場へ。
 駐車場に車を停めて「一服してから行くか」と煙草に火をつけたところまでは記憶にあるのだけど、そのまま寝落ちw。目が覚めたら式典の片付けをしてるとこだった。

 そんな訳で、オレ自身も成人式の式典には参加したことがない。
 でも、DCブランドのロゴがデカデカと入ったガーメントバッグからピカピカのスーツを出し、袖を通し、意気揚々と会場に向かった思い出があるからこうして思い出せる。
 「感染が拡がるからずっと自宅で大人しくしてろ。家族とであってもメシも外に食いに行くな」だと切ない思い出しか残らないんじゃないか?それはちょっとあんまりじゃないか?成人式を祝ってないのにこれから納税だけはキッチリさせるのか?「そうだ!式典を取りやめた代わりに、新成人は2年間の納税義務ナシ!とかいいんじゃないの?」などとウダウダ考えながらステイ・アット・ホームで筋トレしてたら、体のアチコチが痛くなってきた。
 明日はきっと筋肉痛だ。。。


1月13日 水曜日
 年末年始の、気持ちと時間に余裕があるうちに、作業環境をちょこちょこイジったり、機材のメンテナンスをしたりしている。
 いつもお願いしているエンジニアの森元さんに紹介して貰って、カレントさんのPOWERDAMという電源供給速度と密度をブーストする製品を導入したのだけど、その威力に惚れ込んでしまい、今ではあちこちでPOWERDAM教の布教活動までしたりしているw。
 <解像度が上がる>とかいう単純なものではなく、音像もハッキリするし耳の焦点も変わるので、ずっと聴いていても疲れにくい。
 電源ケーブルはアコリバの別注品なのだが「POWERDAMとケーブルだけでココまで音が変わる!?」と驚くぐらい変わった。
 世界的にソフトウェアはどんどん進化しているけど、まさかハードウェア、それも電源ってとこでこれほどの革命が起きるとは・・・やっぱ日本人の目のつけどころと技術力はスゲェな、ハンパないな、と思う。

 POWERDAMだけでなく、幾つか新しい機材を導入して音環境がアップしたので、新しい環境に慣れようとしてるところだけど、あれもこれも欲しくなって沼にハマらないうちにサッサと作業を始めないとダメだな(笑)。


1月17日 日曜日
 阪神・淡路大震災から26年が経った。
 今でもこの日が近づくと、スーパーカブの後ろに乗って山道を登る途中に見えた真っ黒い煙や、ワンフロアが映画のセットのように潰れたデパート、そしてこの世の終わりみたいにグニャリと曲がった高架の脚部がハッキリとカラーで蘇ってくる。
 震災後に初めて水が出た時に、地元の人と抱き合って泣いたことや元町で最後まで傾いたままだったビルが解体される時のことなども鮮明に蘇ってくる。
 震災から十数時間後に神戸入りしたオレですらこんなだから、ご家族やご友人など大切な人を亡くされた方にとってこの日に蘇る悲しみは計り知れない。

 今年も例年同様に朝まで起きていて、そして黙祷し、それからベッドに入った。
 夜通し起きておくということが年々ツラくなってきてるのだけど、出来るとこまでやってみようと思う。
 その前に早く目が覚めるようになるのが先かもしれないけどw。


1月18日 月曜日
 昨年あたりから急に体力の衰えが気になり始めたので、病院に行って相談してみることにした。
 今でも週3回の筋トレと毎朝25分のストレッチは欠かしてないのだが、なかなか2テツ(徹夜2日目)とかになると体力が厳しくなってきたし、ボクシングや筋トレをしても以前のように筋肉がパンプしにくくなってきたような気もして、そういうの全てをひっくるめて ”廊下” ・・・いや間違った『老化』と言うのだろうけど、それに慣れてしまうよりは抗ってやろう!と決めた。

 劇伴のスタジオ作業も、こうしてやり続けてみると感じるのだが、やっぱり気力と体力勝負だと思う。
 曲数も少なくないので、1日に入れ替わり立ち代わり色んな演奏家の方がスタジオ・インされる。
 「この話、今日はもう4回ぐらいしてるな…」と思うくらい何度も同じ説明をしなければならないこともあって、でも同じ熱量で伝えなければ大変なことになるので、一生懸命に説明している。(だんだん話が大きくなることもあるw)
 何かにつけて便利な世の中なので、「動画を撮ってソレを観て貰ってから録り始めてもいいんじゃない?」とか思ったりもするけど、その動画を撮ることやソレをまた編集したり観せる環境にすることの方が数倍メンドくさくなるような気もして、干からびたオウムのように同じセリフを1日に何度も喋っている。
 (ソレを側で見ているエンジニアは「こいつ、同じことばっかり何回も喋ってんなぁ」ときっと思っているはず)

 演奏家の方には申し訳ないが、正直そんな何回も同じことを喋っていると疲れてくる(笑)。
 昔はそんなこと思ったことも感じたことも無かったので、「ヤバいな、オレ体力も気力も落ちてるわ」と思い、そんな自分にまた疲れる。
 そんな「スタジオあるある」(無いわっ)な繰り返しを経て、ついに専門家に相談してみようと思ったのだ。

 ・・・待合で1時間も待たされた。
 自分以外に40人くらい待ってる人がいたが、全員が高齢者。
 話してる内容もよく分からない(笑)。
 そんな中に1時間もいると、「オレ、こんな時間にこんなトコで何やってんだろう?」と、己の体の衰えそっちのけで反省し始めるから不思議だ。

 ようやく診察室に通され、診察や血液検査が終わり、お会計を済ませて車に乗った瞬間に出た言葉が「うぅ・・疲れた…」だった。
 やっぱ気力も体力も衰えてる(苦笑)。

ジムに行くのも億劫な性格なので、自宅でトレーニングやってます(笑)。


自分の土俵

 コロナ禍で社会全体が深刻な状況が続いていますが、2021年明けましておめでとうございます。

 もうすっかり松の内も明けてしまい、寒さもかなり厳しくなっていますが、今年もどうか宜しくお願いいたします。(Blogを書くのが1年ぶりなことにめっちゃ驚いてます:汗)


 新手のウイルスが海の向こうから伝染してきて、1年近くが経とうとしていますが、そんな状況の中で昨年は春先から年末ギリギリまで色々な作品に関わらせていただきました。
 2020年が明けた頃はかなりゆっくりなスケジュールだったのが、土の下から土筆や蕗の薹が顔を覗かせる時期くらいから幾つもお仕事の連絡をいただき、夏が終わる頃には「こりゃスタミナ勝負じゃのぅ…」と思いつつ自分のスタミナの無さに自己嫌悪になったりもしました(苦笑)。


 今年も、例年と同じく、まだ全然ゆっくりなスケジュールですが、まずは健康管理をしっかりとして、長丁場を程よい緊張感を持って仕事を進めていける『心と体づくり』をしつつ、作業環境もより良くなる様に整えていきたいと思っています。


 今年引いたおみくじにデカデカと書いてあった言葉が、”先人の土俵より自分の土俵で戦うこと”。
 この意味をしっかりと考えながら、また今年1年、一人でも多くの方に喜んで貰える作品が作っていける様、しっかりと精進します。

寒中お見舞い申し上げます

傷めた右腕を 三角巾で肩から吊ったり抜いたりしながら年末進行のTVCM楽曲を完パケして、バタバタと絶対に外せない忘年会に2つほど顔を出したら もう大掃除、そして大晦日、正月・・・と、オレの2019年から2020年は あっという間に過ぎていった。

関東では今日で松の内が明け、作業場兼自宅にしているこの下町一帯も、小雨が降る中 正月飾りを外す近所のオッちゃん&オバちゃんの声で朝から少しだけ賑やか。

 

オリンピック・イヤーである今年、日本中が賑やかな1年になるだろうが、自分にとってこの1年がどんな年になるんだろう?と緊張&期待 両方の気持ちで迎えた令和2年。
ようやく三角巾の取れた右手でマウスを動かし、寒中お見舞いの葉書デザインも完成(遅いw)、そして例年より少し早く1月4日から作業場に入りました。

 

一人でも多くの人に喜んでもらえるように、そして一人でも多くの人が笑顔になれる仕事ができるように、また新しい1年も必死のパッチで泥臭く頑張っていきたいと思っています。

 

寒中お見舞い申し上げます!

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年末に人形町のバアちゃんの店で購入した江戸前ハゼの甘露煮(佃煮)。
残念ながら子持ちは1尾も無かったけど、これくらい立派な型を頭から齧って日本酒をひと啜り。

 

challenge

まだ地元で仕事をしていた頃(28くらい?)まで続けていたボクシングを「もう1回やってみよう」と去年ふいに思い立った。

 

年齢を重ねるごとに、闘争心が減ったというか、物事の何に対しても昔ほどのガツガツさが減ったような気がして、それと一緒に、言葉にするのは なかなか難しいのだが 自分の中の”滾り”のようなものの分泌まで減ってしまってるような気がしたからだ。

20代や30代、40代前半の頃までは、なんでも物事の先頭に立って 火矢だろうが壁だろうが蹴散らして進んでやる!的なタイプだったのだが、仕事の各案件の成り立ちや座組がしっかりしたものが多くなるにつれて、指示やジャッジメントを待つということも増え、グッと己の中でメラメラとした炎は燃やし続けているが、ブワッと頭のテッペンまで焦げるような勢いのある炎(スーパーサイヤ人的なw)が最後に出たのはいつだっけ?くらいな感覚の自分に、少しガッカリした瞬間もあって。。。

 

やる!と決めたら即・行動。
元々が地元の国体代表選手やアジア大会代表選手などを育成するアマチュアボクシングのクラブ(その後 プロの世界チャンピオンも出たりした)でスパーリング大会や公式戦などにも出場させて貰ってたくらい しっかりと基礎から叩き込んでいただいてたので、やるなら もう一度基本から!と思って、そんな自分に合うジムを探した。

そして運良くというか、良いクラブに巡り会え、己のだらしなくなった身体に嫌気がさすほど 何度も酸欠やゲロを吐きそうになったりしながら1年・・・少しだけ身体が動くようになってきた。

 

そうなると人間は やはり欲のカタマリで(笑)、「もっと動けるようになりたい」と毎朝25分ほどのストレッチは どんなことがあろうと欠かさなくなり、時間があるときは ランニングやサーキットトレーニングもするようになり、「よし!試合出よう!」と。

 

 

実は 少し前、試合に出ようとして ずっとトレーニングしてたのだけど、先日の超巨大台風のために試合自体がなくなりまして。。。
代わりに、同じクラブの仲の良い選手が初めて出場する(デビュー戦)別の試合の応援に行ったのでした。

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S選手、格上の相手に大健闘で判定勝ち。

 

いつか身体が滾るような試合をしたら、そのときは またココに書きます。

 

 

 

ほどほど・・・に

 

少しご無沙汰してる気持ちだったのだけど、気付けば夏が終わってました(苦笑)。

 

今年は 人生のハーフを折り返した気分になって、まずは若僧気分から脱却していかねばと、一つ一つのことに自分なりの拘りを持っていけるよう やらせて貰ってる。
小僧でいられるなら、それが一番ラクではあるのだけどw、責任感や やりがいだけじゃない”何か”を、一つ一つのことに込めていかねばと思ってトライしている。

 
自分の普段の生活・・・身の周りのことなども 「出来るだけ自分でやろう」と やり始めて もうすぐ半年ほどになる。もちろん制作でテンパっているときなどは、どうしても後回しにはなってしまうのだが、それでも「自分の手の届く範囲のことは なるべく自分でやってみる」という思いは いつもある。

 

誰かに作って貰う食事も、コンビニや持ち帰りで買ってくるメシも、作業をしていると どうしても ”腹を満たせば良い”ことが 主になってしまうことも少なくないのだが、ちょっとでも時間があったり気分転換したいときなどは、包丁を握って自分が食べたいものを作ってみようと思えるようになった。

 

 

少し前に「あ!アレが食べたい!」と思って作った<肉玉ライス>。

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テレビでも紹介されたらしいのだが、元々は地元のアタマの悪いコ(高校生)たちが好んで食べていた逸品。
どんぶりによそった白米の上に、削り節や旅行の友(ふりかけ)・お好みソース・マヨネーズをかけ、その上に塩胡椒で焼いたペラペラの豚肉を山ほど載せる。
そして目玉焼きを重ねて 青のりをかけて出来上がりなのだが、食べ方としては もうひと手間ある。

 
これを まずグシャグシャに崩して混ぜる(笑)。
そうすることによって、どんぶりの中に具や調味料が均等に行き渡るのだ。
見た目は超悪い(爆笑)。
でも、味はハンパなく美味いし、ガッツリと胃袋が満たされ、脳の中枢にも『アンタぁ肉玉ライス食べたんよ!』と しっかり記憶が刻まれる。

 

食べている間は必死だが、食べ終わると「腹減って、授業サボって食いに行ってたなぁ」とか、「◯◯の単車の後ろに乗って行ったなぁ」など当時の記憶が蘇る。

そう、昼時まで待てない頭の悪い人たち(オレ含む)が、週に何度も、そして何年も続けて食った想い出の味なのです。

 

 

 

こうして 最近は 色んな想い出の味なども作って、ひとときの気分転換を楽しめるようにはなったのだけど、作ってると「こんな甘ったるい感じじゃなかったのぅ」とか「お!こっちの方があの店の味に近いわ」とかで、実は、今 ウチのキッチンには、お好みソースだけで3メーカー5銘柄もあったりする(苦笑)。

 
拘ったり、味の再現に挑戦しようという気持ちも ”ほどほど” にしなければいけないのかもしれない(笑)。