オレも君も新たなスタート

 

新年明けましておめでとうございます。

今年は三が日だけ しっかりダラダラして、4日からジョギングや筋トレをスタートしたのですが、5日の午後から発熱しまして(苦笑)。
・・・もはや正月に体調を崩すのが定番になってきています(笑)。

 

さて、先日は成人の日でしたね。
新成人の皆さま、おめでとうございます。

全国各地で成人式が始まる数時間前、前日の京都から大移動して 久しぶりの仙台の駅に降り立ちました。
目的は”女川町の成人式に出席すること”。

 

2011年の東日本大震災、その後 被災地で最初に復学したのが女川第一中学校でした。
その震災直後に入学してきた新1年生が卒業するまでの間・・・2年半ほどの中で、何度も女川にお邪魔し、一緒に給食を食べたり、音楽作品を作ったり、アーティストのコンサートツアーの裏方を務めたりしたのですが、そのときの生徒さんたちが 成人を迎えられたのです。

 

彼らと一緒に作った 『空』(作詞:Satomi・作曲:都志見 隆)という楽曲と、『羽よ、魂となれ。』(作詞:Satomi・作曲:岡本真夜)という2曲を収録したシングルは、なんと当時のオリコン・チャートでも上位に入ったのですが、『空』は その後の女川第一中学校で<青空プロジェクト>という生徒さん主導の活動が始まり、PTAの総会でもご父兄の方々が毎回歌ったり、校内や町の行事でも歌われ、震災後の女川の町で多くの方々に歌っていただいた楽曲になりました。

彼らが卒業する際には、卒業式のプログラムにも全くなかったにも関わらず、閉会宣言を遮って いきなり全員で歌い始め、ざわついた会場が 歌が進むにつれ静かになり、そして歌い終わった後には、会場が大きな拍手に包まれました。

 

 

その卒業式の後、Rくんという学校で1・2を争うくらいヤンチャだった生徒が オレのところに来て みんなの前で言いました。
「山元さん、オレらが成人するときに来てよ」と。

彼らの歌を録るとき、「一緒にこうやって作品を作るってことは、最低でも君らが成人するまで付き合うつもりでオレは作品を作ってる」と言っていたのですが、それをRくんは しっかり覚えていてくれたのです。
「おう!もちろんだよ。その時に一緒に酒が飲めるなら、オレが全員の酒代を払ってやるよ!」

・・・あとから「あ、卒業生って100人以上いるなぁ。。。大きく出すぎたかなぁ」と ちょっと後悔したのですが(笑)、その約束を胸に刻み、数年を過ごしていました。
もちろん、その間にも女川をはじめ石巻などに何度もお邪魔していたのですが、そのときの卒業生に会う機会はなく、今回会うのが実に5年ぶり。

 

成人式の朝、新調した着物や袴に着替えながら、Rくんは「山元さん、来るかなぁ・・・」とお母様に言ったそうです。
それを聞いたお母様は「うん、絶対に来るよ!」と仰ったと伺いました。

行きますとも!!(笑)

 

成人式_女川

 

成人式、そして実行委員会による式典、新成人だけで集まって初めて飲む二次会、先生方との三次会、と明け方まで続いた宴 すべてに参加させてもらいました。
色々書きたいのだけど、その1日の素敵な想い出は、文字にするには大きすぎて、オレの胸の中にしまっておこうと思います。

 

離れても遠くの青い空の下で元気に頑張る 女川町出身の新成人の皆さんにも届く作品が作っていけるよう、今年も頑張ります。

 

 

 

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さて、来年も頑張ろう!

作業場や自宅の掃除を終え、正月用の買い物を済ませて ようやく一息つきました。

 

「光るものは よりピカピカに、そうでないものもピカピカに」は、BOSSの言葉。

来年も 1人でも多くの方に届く作品が作れるよう、一つひとつ誠実に作品と向かい合っていきたいと思っています。

 

今年も大変にお世話になりました。

皆さま、どうか佳い新年をお迎えくださいまし!!

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暮らしの劇伴

少し落ち着いたので、作業場の環境をいろいろ思い切って変えることにした。
愛着のある古いモノで勝負することも またあるだろうが、やはり どんどんと新しいモノを取り入れて、使って、時代の流れに慣れて行くことも必要だと考えた。

大枚払ってメール1通、ダウンロードするための1行のコードとマニュアル。
昔のように楽器屋に行って店頭でお兄さんとアレコレ話して機材を買うということも無くなり、ネットでカートに入れ、決済したら すぐに使える時代だ。
高価なオーケストラ音源などは アクティベートするまで不安でドキドキするが、購入したあとのなんとも言えない味気ない感じにも少し慣れてきた。

 

いくつかのソフトをダウンロードする際に かなり時間があったので、過去に制作した音源やデータなども少し整理していたのだが、ある1曲を聴いていて 思わず手が止まり、何度も何度も繰り返し聴いた。

 

 

 

 

『Home & Life』
2011年に作らせていただいた作品で、住まい方アドバイザーの近藤典子さんとダイワハウスがコラボレートした「ケーススタディハウス」のWebに曲を書いてくれないかと、近藤典子Home&Life研究所の在原社長からオーダーをいただいた。

ケーススタディハウス名古屋.png

 

近藤さんとダイワハウスがコラボしたケーススタディハウスは、2006年5月に広島で最初のモデルハウスが完成し、その後2007年に横浜と神戸、2008年に名古屋が完成した。
その広島・横浜・神戸・名古屋のケーススタディハウスごとにWebサイトがあったのだが、2010年末あたりからサイトのリニューアルが始まり、発注を貰った頃は最後の仕上げをされていたようだった。

東日本大震災から数ヶ月経った頃で、半年以上先まであった仕事が全てキャンセルになり、石巻や女川に長く滞在して、これまでに見たこともないような色んなことを体験している最中で、大きな自然災害の前での音楽の無力さを感じたり、自分自身の これまでやってきたことに疑問を感じたりしていたのだが、目先の仕事も無いオレを気遣って発注してくれた社長の想いに応えようと、震災後まだ整理できていない 散らかった作業場で、ピアノの前に座った。

 

 

鍵盤に触ろうとすると、現地で見た風景が鮮明に蘇り、とてもじゃないが ”暮らし心地よさ”を表現するようなメロディなんて全く浮かんでこない。
毎日 朝から晩まで座ってるだけで2日経ち 3日経ち・・・すぐに数日が過ぎていった。

そんな日々を過ごしているうち、ふと「今のオレに書けるものを書いてみよう」と思った。
少し張りつめていた気持ちが軽くなった気がした。

 

自分の見た、人の一生、
当たり前の生活ができることの尊さ、
人が生きる上での哀しみや喜び、
そして人生という時間、
それらを包むような曲が書きたいと思い、完成した2分の曲を何度も練習し、一発録りした。

http://www.hli.jp/nagoya/

 

 

まだ劇伴など1曲も書いたことが無い頃で、思えば この曲がオレの劇伴第1号と言っても良いかもしれない。
津波で流されたり、大きな穴が開いた 寒々とした家々に、いつか暖かな光が灯るようにと願いながら書いたこの曲を聴いていると、当時の色々な想いが蘇ってくる。
Webのコマーシャル用音楽として発注をいただいたが、人の暮らしに寄り添える曲が書きたいと強く思って書いた・・・今思えば、いろんな人の暮らしに合う”<劇伴>が書きたい”と思ったのかもしれないと思う。

 

良い曲を書こう、
素直にそう思った。

 

 

あっという間に1年

 

この仕事を始めて もうかなり経つが、こんなに毎日音楽に明け暮れた年は無かったように思う。

 

昨年のクリスマス、
プロデューサーが予約してくださったスペイン料理屋で監督に会うのは3度目だった。

1度目は恵比寿のレストランで開催された何かの親睦会で。
2度目は『嘘八百』という中井貴一さんと佐々木蔵之介さんW主演の作品の試写会で。
そして3度目。

「この映画はスペイン音楽で勝負したい」と、フラメンコの生演奏が鳴り響く店内でオレに言われた。

 

その翌日、スペインでスペイン音楽史をずっと研究されてる方に「スペイン音楽を書くには どうしたら良いか?」と素人のような質問をした。
今まで自分が聴いてきたスペイン音楽の知識だけでは きっと高い打点のものが作れない、本能的にそう思ったから。
その上、フラメンコ特有の「コンパス」というリズムは一朝一夕には体に染み付いていかない。

 
”朝起きて眠るまで、毎日ずっとフラメンコを聴きなさい”

その1行、その一言を信じて、半年間ずっと そんな生活を続けた。
ビンテージのフラメンコギターとクラシックギターを買い、毎日何時間もずっと弾いた。

 

書いても書いても修正の連続で、壁に貼ったリストには×印や「再改訂」「再々改訂」「再々々改訂」の文字がいくつも並び、曲データのファイルにも同様の文字が並んだ。

朝起きて、翌朝眠るまで、毎日が文字通り『音楽漬け』だった11ヶ月間、あんなに飲みに出ていたオレが プライベートで一切 酒を飲むこともなかった。

そんな書き方をすると、まるで修行僧のような厳しい生活をしていたようになってしまうが、実は 毎日が楽しくて仕方なかった。
修正や変更で 楽曲の構成やアレンジに頭を悩ませることばかりだったが、なぜか楽しくて楽しくて仕方なかった。

 

すべての楽曲に監督からOKが出て、オーケストラの譜面を書き、スタジオに入る。
レコーディングは11日間、その半分以上が過ぎた頃、アシスタントに「オレ、今週の平均睡眠時間って どれくらいだろうな?」と冗談を言ったら、ササッと計算して「47分ちょっとです」と(笑)。

 

寝不足で 幻聴も幻覚も何度かハッキリ見えた そんな11日間のレコーディング最終日、スタジオでの監督チェック。
すべての曲を聴き終えた監督の口から出た『よし、これで世界と勝負できる!』という言葉を聞いて、レコーディング・エンジニアが背中を震わせて泣いた。
でもオレは不思議と そんな感動もなく、「まだまだだ」という思いだけが より強くなった。

ダビングが終わっても、主題歌のレコーディングが終わっても、全く”終わった”という気分にはなれなかった。

 

0号試写を経て、出演者の方もすべて揃う初号試写、
オレのとなりにはギターを弾いてくれた木村 大氏が座っていた。
上映中、すすり泣くような音が何度も近くから聴こえた。

最後まで感動に全く浸ることなく、エンディングロール、そして主題歌。
曲が終わって 監督の名前が上がってくる。

その時、急に涙が奥のほうから大量に押し寄せてきた。
「ちょっと待って!まだまだ、まだまだオレはヤれる!ちょっと待って!終わらんでくれ!」
・・・そんな気持ちでいっぱいだった。

 

 

11ヶ月間、どんなことがあろうと 絶対にくじけない、そして努力や研鑽を忘れない、そんな音楽屋になるよう監督には本当に鍛えていただきました。
ここから残りの音楽屋人生、どんな作品であろうと 準備を怠らず、この作品で経験したことをのすべてを一つ一つ実践していこうと思います。

 
そして、録音部の石寺さん、音効の柴崎さん、東映撮影所の小林さん、
みなさんとご一緒できた日々は、今後の音楽屋人生の中で一つの宝物です。
またご一緒できるよう、日々しっかりとやっていきます。

 

こんなポンコツで出来損ない、たいした才能の無い音楽屋が多くのご関係者の皆さんにご迷惑をかけたり、力を貸して貰いましたが、その恩が返せるよう、そして一人でも多くの人が作品を観て何かを感じてくださるよう、もっともっと努力します!!

 

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”やらない偽善” より ”やる偽善”

地元が、そして西日本が大変なことになった。
報道では「豪雨による水害」と言われているが、もはや水害で片付けられるレベルではない。
200名を超す方々がお亡くなりになり、今も7千人以上の方が避難生活を余儀なくされている。自然の猛威という言葉だけでは済ませられない、やるせない思いを抱いている方々が本当に沢山いらっしゃる。

地元である呉市は、周りの地域から繋がる道路が土砂崩れで全て潰れ、陸の孤島と化した。
水は止まり、食料品などはあっという間にスーパーやコンビニから消え、その後の物資の流入も途絶えた。

人口20万人ほどの大きくない街で、急な坂道が多くて高台に住む高齢者が多いということもあり、給水所まで行けない方のお宅は水が手に入らず、大変な状況になっていた。
もちろん年老いた両親が二人で暮らしているウチの実家も同様で、お袋に電話したら「もうしょうがないね。このまま二人で死んでもいいねってお父さんと話をしている」と言う。が、しかし道路が全て遮断され、オレが助けに行くこともできない。

 

そんな家庭が、たった2日ほどで何万世帯も出ていたのだろう。
民生委員をされている同級生のお母様が、役所に その現状を知って貰い、なんとかできないかと電話したのだが、”けんもほろろ”な対応をされたらしい。
こんな大きな災害が起きるなどとはお役所も思っていなくて、相当テンパっていたんだろう。

お役所の応対した職員の対応や、ご自身の無力さに よほど腹が立たれたのだろう、オレの同級生である娘さんに電話して、その憤りをブチまけたらしい。
その娘さんも広島市内から実家に帰れない状態の中、お母さんのお気持ちを知ってどうしようもなくなり、SNSで友人相手に少々愚痴ったのだった。

 

彼女の投稿した文章を たまたま読み、すぐに彼女に電話した。
オレ自身も、地元に帰れない状況に悶々としていたし、何かを変えたいという思いがあった。

・・・2時間近く話しただろうか、広島市内にいる彼女と都内にいるオレ、その二人で とにかく動いてみようということになった。
彼女と電話で話している中で、オレ自身が石巻や女川、そして熊本にお邪魔させていただいて経験させて貰ったことが とても大きな経験として自分の中にあるということにも改めて気付いた。
「どこにおっても(いても)、何かできるじゃろ!」

 

彼女は地元の同級生に連絡を取って協力を募り、オレはポータルサイトを運営している友人などにも協力を頼み、情報をSNSでとにかく発信しまくる。
「広範囲で断水の続く呉市では、坂道の多い地域がかなりあり、給水所まで行けないご高齢者の方が大変に苦しい思いをされている。本当に少しでも良いので 給水所から民生委員さんのお宅までお水を運ぶ力を貸して貰えないだろうか」という内容を、出来るだけ分かりやすく、そして簡潔に伝えようと心がけた。
もちろん、他の地域でもお困りの方が沢山いらっしゃるので、動いていただける方は近くの民生委員さんに是非 提案してほしいということも忘れずに書き加えておいた。
本陣は、民生委員をされている彼女の実家にした。

「同級生のお母さんが子供に話したら、”学校も休みだから明日から行く”って言ってくれたらしくてね、すぐに自ら友達に電話して、あっという間に20人くらい明日来てくれることになったんよ!」と、彼女から嬉しそうな連絡が入った頃、オレが投稿したSNSは あっという間にシェアが100近くまで伸びていた。
普段からSNSは利用しているが、700人を超える人と繋がっていても、SNS上でやり取りしてるのは100人前後、おそらく その普段から繋がっている方々がスグにシェアしてくださったのだろうと思っていた。

 

シェアが100件を超えると、急に名前も聞いたことのない方々のシェアが目立つようになってきた。
プロフィールを覗きに行くと、全く知らない方々で、全国各地や海外の方までいた。
本当に有難い。

また彼女からの電話が鳴る。
「さっき話した同級生のお母さんも呼びかけてくれて、数が増えてるんだけど、ウチの母親にぜんぜん連絡がつかないんよ」
後で知ったのだが、その頃 彼女のお母さんは、あちこちから掛かってくる「是非お手伝いしたい」という電話が鳴りっぱなしで、連絡先として掲載した固定電話の前から 夜まで全く動けなかったらしい。
改めてSNSの持つパワーを知った。

 

翌日、
市内の和庄小学校に集まった方々は中高生約100名、保護者の方々を加えると大変な規模になり、機転を利かせたお母さん(同級生と電話で連絡を取り合ってた方。この方がまた凄いんだわ)のファインプレイで、急遽 隣町の小学校給水所にも分かれて行き、10チームが高台のご高齢者のお宅 百数十軒に水を届けた。

2リットルの水1本は2kgと決して軽くはない。
その水を一人が何本も抱え、坂を登り下りするのは、かなりな重労働だ。
中学生だと2往復強、高校生でも3〜4往復もすればヘトヘトになる。また炎天下だから熱射病の恐れもある。
そんな過酷な重労働を中高生が一生懸命にやり遂げられたと聞いて、胸が熱くなった。
オトナであるオレが、その場に居られないことを本当に申し訳なく思った。

彼らの頑張りを聞いた自治会長も登場し、彼ら全員にかき氷を振舞われたそうだ。
出来たら水の1本でも運んでいただきたいなぁとは ちょっと思ったのだが(笑)。
でも、とにかく この<ウォーター・ボーイズ&ウォーター・ガールズ>の活躍が、様々な大人たちの背中を押したことは間違いない。
SNSに投稿したレポートを目にした他地域でも、同様の行動を起こされる方々が出始めた。
なんと、今日現在では市内のあちこちの地域でご高齢者のご家庭に水を運ぶ方々が増え、役所にも水を受け取りに行けない方々に対応する専用ダイアルまで設置された。
差し障りがあるといけないので詳しくは書けないが、とある国家公務員の方々も「ぜひお手伝いしたい」と上職の方から 同級生の彼女の友人であるお母さんに連絡が入ったりもしているそうだ。

 

同級生がSNSにあげた小さな小さな叫びが、そして自ら率先して水を運んだ中高生の方達の小さな一つ一つの手が、これだけ大きな結果に繋がるのを少しだけお手伝いさせて貰って、「呉って本当に良い街だなぁ」と感じた。
この未曾有の災害の真っ只中にあって、これだけ他人のことを考えられる・思いやれるって本当に凄いことだなぁと思うのです。

 

 

しかし、その反面、SNSで繋がる人たちの無関心さや 災害掲示板に投稿する方の無責任さが目につくようになったのも確か。
オレのSNSで言えば、600人近くが”サイレント・マジョリティー”としてご自分の位置づけをされてるのかもしれないが、それって マジョリティでも何でもなくって、ただの傍観者でしかない。

SNS上の統計理論で言えば、今回オレが投稿した記事2件は、3万人を超える人が見た計算になる。しかし実際にご協力くださったのは、その「76.9分の1」程度の方々。
他の方が投稿されている災害情報の記事なんて、とっても有益な情報だったりしてもシェア数は多くて30程度。「あんたら、人のために指先1本も動かんのかい!」と言いたくもなる。
しょせん、『対岸の火事』なんだろう。

 

《やらない偽善より、やる偽善》
この10年の間に、こんなに多くの災害があって、多くの日本人が大変な目に遭っても、この言葉が全く浸透しない風潮を実に残念に思う。
いや、もしかしたらSNSでは動かないが 莫大な寄付をしようと考えられてるのかもしれないし、誰にも見えないところで大きな貢献をされてるのかもしれない。

だったら、「今日は⚪︎⚪︎さんと こんなに美味しいお肉を食べました〜」や「仕事が休みで⚪︎⚪︎に来てめっちゃ酔ってます!」な投稿は、もう少し時間が経ってから「ちょっと前に⚪︎⚪︎でした〜」のほうがいいように思う。(お前にカンケーないだろ!と言われりゃ それまでなんだけど)

”やる偽善”の方にカテゴライズされるかもしれないけど、災害が起こると すぐに出てくる「チャリティで歌を歌います」という御仁たちも ちょっと考えた方がいい。今はそれ以外に出来ることが間違いなくあるはず。
「ライブでチャリティ・グッズを販売します。その売り上げの一部を寄付します」って言いながら自分の名前の入ったグッズを売るのもダメ。そんな事すらも分からない人に、他人の心を打つような歌が書けたり唄えたりするはずもない。

 

まぁ、そんなこんなで、ここ数日の間に色んなことがある。
明日からも また色んなことがあるだろう。
オレ自身、まだ地元に行けてないから、人のことを とやかく言う資格はないのかもしれないけど、ようやく昨日未明に国道31号線が復旧し、広島市内から地元に入れるようになり、これで物流も少しは変わってくると思うので、スーパーやコンビニに商品が余るくらいになれば、スグに帰ろうと思ってる。
それも、過去に色んなところにお邪魔して経験させて貰って知ったこと。

それまでは、どれだけ悶々としようが、どれだけ気持ちが焦ろうが、今の自分にできることを一生懸命やらせて貰おうと思っている。
それが「偽善だ!」と言われても上等、「偽善で何か悪いすか?」くらいな心の持ちようで、現地で動いている人たちのお手伝いを喜んでさせて貰うつもりだ。

 

さて、最後に<ウォーター・ボーイズ&ウォーター・ガールズ>の活躍の様子を見ていただきたい。
給水所で朝から夕方まで交通整理をして、今や「交通整理のエキスパート」とまで呼ばれるようになった保護者のお母さんも素敵だ。

 

 

このたびの水害で被災された本当に多くの方に心からお見舞い申し上げます。
そして、その水害の犠牲となり亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。

 

 

制作者のハードル(激辛メニュー的なw)

またまたご無沙汰しておりました。

ここのところ”昼型人間”的な生活習慣になっているからなのか「あ、Blogの更新しとかんと。」と数日前からチョイチョイ思ってたので、忘れないうちに書いとこうかなと。

 

午前7時前後に起き出してテレビをつけると、相変わらず朝から、残念だったり腹立たしかったり耳を覆いたくなったりするようなニュースばかりで、モーニングコーヒーの味も心なしか苦目に感じます。

ネットニュースを見れば、そのニュースのコメント欄には様々な言葉が並び、またちょっとウンザリ(苦笑)。

「いつから こんなにギスギスした国になったんだろう?」
と不思議になるのですが、引きこもりのオッサンがチマチマと毎日作業している間に、日本は、そして世界は物凄いスピードで動き、変化していってるんだろうなと。

その情報量の多さは「これに付いて行くには、自分のアタマん中に どんだけメモリ積まんといけないの?」と想像を超える量なので、知らないなら知らないでイイかなと諦めにも似た”逃げ腰モード”だったのですが、それはそれで《無関心》ってことになるのかなぁと別の意見が自分の中に芽生えてきたので、苦く感じるコーヒーを啜りながら ちょっと考える。

 

「こんな、ちょっとギスギスした生き辛い世の中を、音楽やエンタメで少しでも和らげることって出来ないもんかなぁ」

そう思って ちょっと顔を上げて、音声を消した(もう音声があると滝のように哀しい情報しか入ってこないので)テレビの画面を見た瞬間、

『万引き家族』。

 

思わず「おいっ!」って自分にツッコミ入れたくなりました。

で、仕方なくiPadでネットニュース見たら

『孤狼の血』。
『終わった人』。

 

・・・いや、作品は観てないですよ。観てないけども。。。
きっと、間違いなく素晴らしい作品なんだと思いますよ。多くの人が絶賛されてる作品ですし。

でもね、よりによって、オレが何年かぶりに この国の今の状況を憂いて「よし、ちょっと考えてみよう!」と思ったタイミングに このタイトル3連チャンしなくても(苦笑)。。。

けど、「どんな内容なんだろ?」と ちょっと気になってます(笑)。

 

これだけ毎日いろんなニュースが飛び交ってるのだから、日本人の感覚も麻痺してしまってる部分があるんだろうなと。
だから、激辛メニューじゃないけど、麻痺した舌にピリッとしっかり刺激のあるタイトルにしないと、世の中は見向きもしないのかもなぁと思ったのです。

音楽もエンタメも、少々麻痺してしまった舌にのせても「ウマイ!」と感じてもらえるものを作ってかなきゃいけないってことなんだろうなと。

 

なんか どんどん制作者のハードルって上がっていってますなぁ。。。
某監督さんが「我々は、”誰かの人生の中の2時間”に お金を払って観て貰えるものを作らないといけないんだ」と仰ってましたが、本当にその通りだなと。

だからこそ、そこに関わるオレらは、”そのためのクリエイティヴ”ということを日々考えながら作品を作っていかないといけないんだなぁと思うのです。

 

”そのためのクリエイティヴ”。。。
ちょっと激辛メニューでも食べて、「ベロが痛い!」なんて言いながら、涙と汗を垂れ流して考えてみます(笑)。

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桜島、見たことあります

春を通り越して 初夏のような暖かだった日の夕暮れに、「ついさっき祖母が亡くなった」と母親から電話があった。91歳、大往生と言っても良いだろうと思う。
昨年の暮れあたりから、もうそろそろのようだとは聞いていたが、いざ そうなってみると全く実感が湧かなくて、なんか自分が悪いことをしているような気になる。

ここんとこ ずっと書いているプロジェクトの現場がまさに進行中で、かなり大掛かりなスコアをパッツンパッツンのスケジュールの中 現場に送らなければならず、必死に画面に音符を打ち込んでる最中だったので、「申し訳ないけど通夜も葬儀も出席するのは ちょっと厳しいかもしれん」と母親に伝えると「仕事があることが有難いのだから、仕事を優先しなさい」と言ってくれたので少しだけ心のつっかえが取れたような気になった。
50年近く、今も現役で商売してる母親だからこその言葉だった。有り難かった。

 

小さい頃、親父はほとんど家にいなかったし、母親もずっと仕事をしていたので、オレら兄妹弟は祖父と祖母に育てられた。
20数年前に祖父は他界しているので、育ててもらった恩から考えると、祖母の通夜にも葬儀にも出席しないというのは かなりバチ当たりであることには違いないのだが、「親の死に目にも会えないと覚悟しろ」と今でも当たり前のように言われ続けている業界で仕事をさせてもらってて、その仕事の真っ最中に「肉親が亡くなったから地元に帰ります」などとは絶対に言えないし、進行中の作業を仕上げて送らないと現場にいる100人近くの方たちに迷惑がかかる・・・そんなことを言い聞かせながらも 悶々しながらPCと向き合い、黒塗りのオタマジャクシを淡々と打ち込んでいた。

そうこうしてると1時間ほど経って現場から連絡が。
「事前に必要になったので、明日中に仕上げて送ってくれないか?」と。

普通なら「必死に作業してますけど、絶対に無理です。ちょっと勘弁してもらえないすか」な感じなのだが、「あれ?コレを仕上げたら葬儀には間に合う?んじゃね???」という思いがアタマを過ぎり、そこからメシも食わず 必死のパッチ、ヘロヘロになりながらも火事場のナントカで仕上げてデータを現場に送った。
「ありがとう。あとはこっちで手書きで書き込みます。お疲れさまでした」とOKの連絡が入ったのが午前5時半、本来であれば現場から変更や手直しの連絡が入るまでは待機してるのだけど、「変更がきたら新幹線の中でやる」と決め、スーツケースに喪服や着替えなどを詰め込み、とりあえずの機材やPCを持ってスウェット姿のまま東京駅に向かった。

 

地元に着くと、すでに収骨も終わったあとで 結果的には間に合わなかったのだが、久しぶりに家族が揃って晩メシを食い、そして その後 25時過ぎまで母親と二人で色んな話をした。
「お袋と こんなに長時間 二人っきりで話したの、生まれて初めてかもしれんなぁ」と思いながら、わりとトンチンカンな母親の愚痴を笑いながら聞いていた。

 

で、翌日。
どうせ広島まで帰ったのだから、そのまま足を延ばして 現場に顔を出してみようかなと。
東京駅に向かう前に ふと思いついてプロデューサーに連絡し、「ぜひ どうぞ」と言っていただいたこともあって、そのまま鹿児島へ。

 

以前プロデュースしていたオムニバスLIVEや、アーティストのツアーサポートで これまでに何度か訪れた鹿児島だが、実は これまでに桜島を見たことがない。
何度もお邪魔したCAPARVO HALLの楽屋からは桜島がドーンと見えると毎回イベンターさんから聞かされているにも関わらず、台風直撃だったり 曇天だったり ガスってたりで、かろうじて下半分だけを1度見たきりである。

今回お邪魔する町は、鹿児島中央駅から車で4時間ほどの九州最南端の町なのだが、以前 地元の方から聞いたハナシによると桜島はドッカーンと(ご本人談) 見えるらしい。
「え〜っ!?桜島を見たことないですか!?ぜひ来てください、必ず見れますから」という言葉を運転しながら思い出しては 期待で気持ちが高ぶる。

高速道路から見える、ちょっとした大きな山を見つけるたびに「あれが桜島かなぁ」とナビを見る・・・全然違う(苦笑)。
そうこうしてると夕暮れの時刻になってきた。あと60kmほどで現地に着く予定なのだが、未だ桜島は見えていない。
どんどん薄暗くなっていく海沿いの道を走りながら、現場で「桜島、見ました?」と聞かれ「いやぁ、今まで何度も来てるんですが一度も見れたことがないんですよ」と答える自分をシュミレーションしていた時、右ナナメ後ろに大きな影というか異物のような気配がした。

 

「わっ!」
・・・一瞬だった。
すぐに携帯で写真を撮ったが、あとから見るとピンボケで 上手く写ってはいなかった。
でも、、、、、桜島、見ました!
「桜島、初めて見ました!」と車の中で独りで何度も呟いた。

 

 

 

 

午後8時、かなり冷える夜の現場に着いたら、自分の曲が爆音で流れ、百人近い方々が動いてらっしゃる真っ最中だった。

翌日は、各場面の現場を一人で回り、夕方から重要な場面であるあぜ道に座って、その前方にある大きな大きな崖を眺めていた。
千年以上前からあるこの崖と この道。
数え切れないほどの人が、ここを どんな気持ちで歩いてきたのだろう?、そんなことを思いながら日の暮れた真っ暗なあぜ道に座ってると、なぜか泣けてきた。

なんで あんなに涙が出たのだろう?と今考えてもよく分からないが、悲しくて泣いたのではないことは分かる。
なんだろうなぁ・・・自然の大きさに圧倒されたのかなぁと思う。

 

さて、先週末から その曲を書いている。
どう説明すればよいのか分からないけど、なにか”書かせてもらってる”ような感じが ずっとしてるから、まだちょっとフワフワしてんだろうな。
気合い、入れます!

 

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されど、1曲。

 

大変に大変に遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございま…した(汗)。

「日本の正月だけでなく、旧正月(2月16日)も明けてから新年のBlogを更新するなんて、どーかしてるぜっ!」と言いたいところですが、なかなか書くタイミングが見つからず。。。
・・・そう自分に言い訳しながら、さて書いてみよう!と思って前回のBlogを見ると2017年の6月っ!! うわっ!オレ8ヶ月も更新しとらんじゃないかと自分のズボラぶりに呆れております。

 
8ヶ月前から今日までの間に、それこそ当たり前に色々な出来事はあったのでしょうが、と言うか ありましたが(苦笑)、そうですね・・・つまり「書きたいとか書けなかったとかいうことではなく、”書かなかった”」というのが正直なところだと思います。
「書かないといけない!」と思ってれば、絶対に書けたはずですし。。。

そんな言い訳ばかりをダラダラ並べてもアレなんで、今年もきっと筆マメにはなれないでしょうが、書けるときに書いていこうと思います。

 

 

 

さて、ここ数週間は ずっと寝不足な状態が続いてました。
徹夜して1時間半寝て また徹夜して、3時間寝てから62時間ぶっ通しで作業して、そっから「3時間半だけ寝よう!」と思ってソファで仮眠したら 気がつくと5時間半も寝てしまってて 焦ってまた徹夜になって・・・みたいな繰り返しで、途中「うわっ!地震か!?」と思うと自分が揺れてたりとか(苦笑)。

実は、ずっと一緒に仕事したいと思ってた方の作品に参加させていただけることになり、そりゃぁもう必死のパッチです(爆笑)。

 

今年の1月4日から書き始め、何度も打ち合わせや方向性の確認・修正・再構成を繰り返し、一昨日ようやく1曲がカタチになりそうなところまで見えてきた状況で。
たった1曲にこれだけ時間(55日ほど) をかけて書いたのは、それこそ この15年くらいの間で記憶にないくらいです。

しかし、その修正や再構成の繰り返しによって、これまで自分自身がアタマでは解っていたようで 気づけてなかった色んなことに気付けたり感じるようになれたのも事実。

この”たった1曲”に、この作品に関わる100人以上の方の熱量や感じ方も大きく変わってくる、そして この1曲を聴かれるであろう何千人?何万人?の方々の印象も大きく大きく変わってくるという その本当の大きさや大事さ、責任というものの重さを感じながら書けるようになったことは、これからの自分において とっても大きなプラスだと感じています。

それが見える”現場”って、関わるすべての人にとって素敵だなと。

 

この曲をジャッジしてくださる方は、普段からとても物静かな方なのですが、熱量が凄まじく妥協の見えない方です。
こういった方と一緒に作品をつくらせていただく機会自体が とっても貴重なのですが、なかなか体力勝負、気力勝負なところはあります(笑)。

・・・とは言え、「キツい」とか「シンドい!」とか思ったことが1度もなく、書かせてもらった4分の作品を毎回ジャッジしてもらい、そこからまた毎回 修正にトライするのが楽しくて・・・なんか駆け出しの頃の気持ちに戻っているような感覚です。

 

引き続き まだこのプログラムは続いていきますが、今 自分自身でしっかり感じることのできている『されど、1曲』を大事に書いていきたいと思っています。

 

 

 
写真は、今年の正月の神棚。
いつもお世話になってるエンジニアさんが、天河大弁財天さんのお札を わざわざ買ってきてくださり、それをお祀りしたところ、一段と賑やかになった気がします。

今年も、心穏やかに、一人でも多くの方に喜んでいただける作品がつくれる様、引き続き精進いたします!
どうかよろしくお願いいたします。

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Memorial Tour

「7月末までにアルバム曲を4曲仕上げる!」というノルマを自分に課した。
個人事業主、サボろうと思えば幾らでもサボれるし、自分の首なんてカンタンに締めることができる(笑)。
毎日 作業場には居るが、日々色々と、そして細々とやらなければならない別作業や仕込みなどもあり、目標などという甘っちょろいモンではなく『ノルマ』『マスト事項』にしてしまわなければ、自分で作った締め切りなんぞヌルヌルと破ってしまう(苦笑)。

 

で、必死に頑張ってたのですが、なかなか手こずり、ようやく1曲目を仕上げた頃…。
パラパラとスケジュール帳をめくってて、思わず声が出てしまうくらい青くなった。

・・・あ、・・・明後日から旅行じゃん。。。(撃沈)

 

 

 

 

昨年の春に起こった熊本大地震、その後に震災の疲労も祟ってか お亡くなりになった方と約束していたのが「良くなって、旅行に行きましょう!」ってこと。

その後、快方に向かわれることなくお亡くなりになったのだが、その方の一周忌の前に どうしても約束していた場所へお連れしたいという想いがあって、一周忌まで1週間ほどのタイミングで、 南の、そう大きくない島へ旅に行ってきた。

 

約10時間をかけて辿り着いたその島は、オレにとっては4年ぶり、3回目。
変わらない海の色、ホテルのコテージ風の部屋から見える景色も あのときのままだ。

前回は、スマトラ島沖地震から ちょうど10年目というタイミングで来たのだが、それから4年経って 以前よりもっと観光色が増した以外は ほとんど変わらない。
毎回 滞在した折には行きつけにするレストランのいつもの席も、レンタルしたバイクで走ると聞こえる風のアノ感じも。

 

でも、一つだけ違うのは、何処へ行くにも その方が笑っている写真と一緒に出かける・・・ということ。

 

 

朝食を食べ、バイクで下の町や隣町まで買い物に行き、プールで泳ぎ、ベランダで陽が沈んでゆくのを眺めたら、また下の町で夕食をとり、部屋に戻って寝る。
ツアーでもないし、観光地にも行かず、そう大きくない島の中の、小さな町で 静かに、そしてゆっくりと時間を感じながら過ごした5日間だったが、本当に楽しかった。

 

この島に着いて3日くらいまでは、日本に置いてきた面倒なことやナーバスになるようなことも気になってたし、心の底からリラックスは出来ていなかったりしたのだけど、ベランダから町を眺めていた ふとした何かのタイミングで、憑きモノが落ちるようにスッキリと前が見えた気分になってね、「オレはオレでいいんだ」とハッキリ開き直れるようになったし、あれだけ練習しても上手くなれなかったドルフィンキックも いきなり出来るようになったし(笑)、空港に向かう頃には 心がとっても軽くなったような気がして、元々は追悼旅行ってカタチで企画したのだけど、逆にオレにとっての memorial tour になったような気がするのです。

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ただ、南国の日差しを またナメてた(苦笑)。
バイクで片道1時間の道のりを走っただけなのに、帰ってきたらヤケド状態。。。

雨季のはずなのになぁ。
雨、ぜんぜん降らなかったし。(スコールも1度もなかった)

 

もう ヒーフーがボーロボーロです(笑)。

 

 

 

だったら、来年!!

昨年の夏以来、久しぶりに石巻にお邪魔した。
熊本でお世話になっている祭りの会の皆さんが上京されるタイミングで 石巻まで足を伸ばしたいとのことだったので、そのアテンドも兼ねて同行することになった。

 

到着初日は 石巻市内の様々な中学校の先生方との晩餐。
現在は あちらこちらの中学校に赴任されてる先生方だが、あの震災直後の女川第一中学校で当時の生徒さんと一緒に日々を生き抜いてこられた方々である。

そんな、先生方と集まる日が、震災からちょうど6年3ヶ月経った日だったというのも何かの縁だろうなと思う。

 

翌日は、チーム熊本の皆さんを 日和山公園〜荻浜中学校〜女川町〜旧大川小学校へお連れして別れ、オレは昨年のNコンに出場した荻浜中学校の卒業生や そのご父兄の方々との会食。

卒業から たった数ヶ月しか経っていないのだが、高校生になった彼らが少し大人びて見え、こちらの方が少々照れくさくなってしまうくらい成長しているのが見てとれる。
当時はモソモソと 口の中にこもるように話していた彼らだが、久しぶりに会うと語尾までしっかりハキハキ話すようになっていて、”あぁ、これが成長するってことなんだなぁ”と感動を押さえきれなかった。

 

 

昨夏に塩竈市で開催されたNHK全国合唱音楽コンクールで、石巻市立荻浜中学校は、全校生徒16人で出場した。
他の中学校は合唱部やコーラス部で参加されてたのに対し、「全校生徒で」という主旨に心を打たれ、康 珍化さん作詞・都志見 隆さん作曲の【秋日傘】という被災した町の風景を切り取った素晴らしい作品をオレが混声6部合唱にアレンジさせて貰い、そして歌唱指導としても参加させて貰ったのだが、コンクールという場において言えば、生徒さんの努力や力量が発揮できたとは決して言えない結果だった。

 

そんな少々苦くて酸っぱい想い出から10ヶ月経って皆さんにお会いしたのだが、お父さんやお母さんたちから【秋日傘】の話をたくさん聞かせていただいた。

初めて曲を持って帰ったときの生徒さんの表情のこと。
家族で「ここはドコの町なんだろう?ウチで言えば誰だろうねぇ。。。」などと毎日話し合ったこと。
歌詞の意味をスマホ片手に居間で家族みんなで調べたこと。
家族全員が色んなパートを練習して覚えたが、いざ一緒に家で合唱してみると酷かったこと(笑)、など。

そして皆さん口々に「中学校3年間で、こんなに真面目に、必死に頑張った子供を見て嬉しかった」と。

 

「山元さん、またやりましょうよ!この歌を歌うことや 合唱に一生懸命に取り組む経験は、子供たちにとって絶対に必要だと思うんです。今年も【秋日傘】、やりましょうよ!」
・・・少しお酒も入ってきた頃、お父さんたちと同じテーブルで飲んでると、お父さんから そんな言葉が次々に出てくる。

実は、会う数時間前に 彼らの母校である荻浜中学校にお邪魔した際に、校長先生から「生徒数も減ったし、様々な学校行事との兼ね合いで 生徒の体力も持たないと判断して、今年はNコンに出場しない・合唱もやらないことにしたんです」と聞いていたので、その旨をお話すると、
『だったら、来年!!、来年絶対にやりましょう!!PTAも総動員してやりますので。来年は絶対にやりましょう!!』と、まだ在校生を持つお父さんから かなり熱のこもった言葉が出るとイッキにテーブルを囲むお父さんたちの言葉がアツくなったのです。

「Nコンに出るだけが全てじゃないと思うんです。文化祭でもいい、とにかく この歌を子供たち全員で歌うことが大事だと思うんです」という言葉を聞いたときには、涙が溢れるギリギリでした。

 

あのNコンで、出場した生徒さんの力量すべてが発揮できなかったのは 自分にも大きな責任があると ずっと思っていたのだけれど、お父さんやお母さん、卒業生、当時の担任の先生、昼間に会った校長先生や在校生からは 前向きな言葉ばかりで、そんな言葉を貰えて、やっと何か肩から重たいものが取れたというか、よし!だったらオレも また頑張らないと!という気持ちがふつふつと湧いてきて「やりましょう!」と返事をさせて貰ったのでした。

 

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この日、石巻市内の中華料理屋さんに集まったのは、卒業生とそのご父兄全員。
大事な学校行事以外で こんなに全員が集まられることは、ほぼ無かったそうで、この日お会いできた皆さんに心から感謝しています。

 

その後に みんなで行ったカラオケボックスでは、お母さんと『ふたりの愛ランド』をデュエット(笑)。

ふたりの愛ランド / 石川優子&チャゲ

こんな経験、生まれて初めてです。
でも、とっても盛り上がる皆さんの顔を見てると「こうやって みんなが盛り上がれる曲を書きたいなぁ」としみじみ思ったのです。

 

お父さん、お母さん、卒業生の皆さん、そして当時の先生方、
言葉にすると とってもチープになってしまうかもしれないけど、本当に楽しくて楽しくて 素晴らしい時間でした。
ありがとうございました!