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まだ地元で仕事をしていた頃(28くらい?)まで続けていたボクシングを「もう1回やってみよう」と去年ふいに思い立った。

 

年齢を重ねるごとに、闘争心が減ったというか、物事の何に対しても昔ほどのガツガツさが減ったような気がして、それと一緒に、言葉にするのは なかなか難しいのだが 自分の中の”滾り”のようなものの分泌まで減ってしまってるような気がしたからだ。

20代や30代、40代前半の頃までは、なんでも物事の先頭に立って 火矢だろうが壁だろうが蹴散らして進んでやる!的なタイプだったのだが、仕事の各案件の成り立ちや座組がしっかりしたものが多くなるにつれて、指示やジャッジメントを待つということも増え、グッと己の中でメラメラとした炎は燃やし続けているが、ブワッと頭のテッペンまで焦げるような勢いのある炎(スーパーサイヤ人的なw)が最後に出たのはいつだっけ?くらいな感覚の自分に、少しガッカリした瞬間もあって。。。

 

やる!と決めたら即・行動。
元々が地元の国体代表選手やアジア大会代表選手などを育成するアマチュアボクシングのクラブ(その後 プロの世界チャンピオンも出たりした)でスパーリング大会や公式戦などにも出場させて貰ってたくらい しっかりと基礎から叩き込んでいただいてたので、やるなら もう一度基本から!と思って、そんな自分に合うジムを探した。

そして運良くというか、良いクラブに巡り会え、己のだらしなくなった身体に嫌気がさすほど 何度も酸欠やゲロを吐きそうになったりしながら1年・・・少しだけ身体が動くようになってきた。

 

そうなると人間は やはり欲のカタマリで(笑)、「もっと動けるようになりたい」と毎朝25分ほどのストレッチは どんなことがあろうと欠かさなくなり、時間があるときは ランニングやサーキットトレーニングもするようになり、「よし!試合出よう!」と。

 

 

実は 少し前、試合に出ようとして ずっとトレーニングしてたのだけど、先日の超巨大台風のために試合自体がなくなりまして。。。
代わりに、同じクラブの仲の良い選手が初めて出場する(デビュー戦)別の試合の応援に行ったのでした。

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S選手、格上の相手に大健闘で判定勝ち。

 

いつか身体が滾るような試合をしたら、そのときは またココに書きます。

 

 

 

ほどほど・・・に

 

少しご無沙汰してる気持ちだったのだけど、気付けば夏が終わってました(苦笑)。

 

今年は 人生のハーフを折り返した気分になって、まずは若僧気分から脱却していかねばと、一つ一つのことに自分なりの拘りを持っていけるよう やらせて貰ってる。
小僧でいられるなら、それが一番ラクではあるのだけどw、責任感や やりがいだけじゃない”何か”を、一つ一つのことに込めていかねばと思ってトライしている。

 
自分の普段の生活・・・身の周りのことなども 「出来るだけ自分でやろう」と やり始めて もうすぐ半年ほどになる。もちろん制作でテンパっているときなどは、どうしても後回しにはなってしまうのだが、それでも「自分の手の届く範囲のことは なるべく自分でやってみる」という思いは いつもある。

 

誰かに作って貰う食事も、コンビニや持ち帰りで買ってくるメシも、作業をしていると どうしても ”腹を満たせば良い”ことが 主になってしまうことも少なくないのだが、ちょっとでも時間があったり気分転換したいときなどは、包丁を握って自分が食べたいものを作ってみようと思えるようになった。

 

 

少し前に「あ!アレが食べたい!」と思って作った<肉玉ライス>。

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テレビでも紹介されたらしいのだが、元々は地元のアタマの悪いコ(高校生)たちが好んで食べていた逸品。
どんぶりによそった白米の上に、削り節や旅行の友(ふりかけ)・お好みソース・マヨネーズをかけ、その上に塩胡椒で焼いたペラペラの豚肉を山ほど載せる。
そして目玉焼きを重ねて 青のりをかけて出来上がりなのだが、食べ方としては もうひと手間ある。

 
これを まずグシャグシャに崩して混ぜる(笑)。
そうすることによって、どんぶりの中に具や調味料が均等に行き渡るのだ。
見た目は超悪い(爆笑)。
でも、味はハンパなく美味いし、ガッツリと胃袋が満たされ、脳の中枢にも『アンタぁ肉玉ライス食べたんよ!』と しっかり記憶が刻まれる。

 

食べている間は必死だが、食べ終わると「腹減って、授業サボって食いに行ってたなぁ」とか、「◯◯の単車の後ろに乗って行ったなぁ」など当時の記憶が蘇る。

そう、昼時まで待てない頭の悪い人たち(オレ含む)が、週に何度も、そして何年も続けて食った想い出の味なのです。

 

 

 

こうして 最近は 色んな想い出の味なども作って、ひとときの気分転換を楽しめるようにはなったのだけど、作ってると「こんな甘ったるい感じじゃなかったのぅ」とか「お!こっちの方があの店の味に近いわ」とかで、実は、今 ウチのキッチンには、お好みソースだけで3メーカー5銘柄もあったりする(苦笑)。

 
拘ったり、味の再現に挑戦しようという気持ちも ”ほどほど” にしなければいけないのかもしれない(笑)。

 

 

 

我要加油!(22th SIFF)

着陸準備をする機体が、薄曇った空の中へ高度を下げていく。
背の高いビルとビルの間に ゴチャゴチャした家々がたくさん並び、アジア感が増してくるのを見て、「いよいよだ!」という気持ちが昂ってくる。

 

 

ちょうど1年前、作品や監督に対して ”挑む”という言い方が妥当なくらい 毎日 朝から朝方まで曲作りに明け暮れていた頃、「あなたたち音楽を書いてる人たちこそ、絶対に海外の映画祭に行って、現地で色んな映画関係者と話をした方が良いんだ」と、 ウチのリビングで打ち合わせしていた 武監督に言われた。

”でもオレ、英語も我流ですし、そのほかの言葉もカタコトくらいですよ” というと「私だって そんな感じですよ。でも一生懸命に喋ってたら なんとかなるんですよ。気合いで!」と(笑)。

そのときは、”そうかぁ、行ったほうがイイのか。よし!忘れずに覚えておこう” と思ってたくらいだったのだけど、1ヶ月ほど前に 久しぶりにお会いした制作プロデューサーから『上海、決まったみたいですよ』と伝えられたので、”・・・実はオレ、武さんに以前「この作品は海外の映画祭でも上映されるかもしれないから、その時は必ず現地に行った方が良い」って言われてたんですよねぇ…” というと、「そうなんですか! 武さんから そんな課題をもらってるんだったら 絶対に行くべきですよ。行くときっと良い経験になると思いますよ。あとで日程をメールで送っときますから」・・・あぁ、オレって 武監督に言われたあの日から 行くべきな運命だったんだなと 深く悟ったのでした。

 

 

実は 上海には20代の終わり頃に 何度か訪れたり、少し長めに滞在したこともあったのだけど、そんなに良いイメージではなかったので(上海の皆さん、ごめん!)、それ以来 訪れることは無く、もっと言うと「もう行かなくていいかな…」的な都市リストに勝手に入っていた。

しかし”行く”と決めたらハナシは別。
色んな方々のお力を借りて、ついに上海に上陸!!!

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今回 滞在したのは <徐家匯> という 都内で言うところの青山みたいな商業区。
昼も夜も賑やかで人通りもハンパなく多い。
このエリアに会場となる大きな劇場が2つもあり、ここの隣の駅から5分くらいのところにメイン会場もある。
・・・・・と、ここまで書いて気が付いたのだが、今回の目的を ちゃんと書いてなかった(失敬)!

 

この春 公開になった映画『きばいやんせ!私』が、上海国際映画祭のパノラマ部門 正式出品作品(非コンペティション)として上映されることになったのです。

上海国際映画祭は、アジアで最大の映画祭であり、世界から新旧合わせて500作品が上映されるのですが、その中でもパノラマ部門は日本から3作品しか選ばれておらず、かなり凄いこと(らしいの)です。

そんな栄誉ある映画祭のチャンス、しっかり味わっておかないと!(笑)

 

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朝から色んな会場を回ったり 事務局に行ったりしてるうちに「おぉ〜!映画祭っ!」な気分が どんどん膨らんできて、しっかりと心も装備も準備をして、夕方から上映される劇場へ。

 

上映35分前くらいに着いたのですが、お客さんは まばら・・・おそらく6〜7人しかいなかったんじゃないのかなぁ。
「日本映画だし、こんなモンなのかなぁ。。。」と思ってたのですが、入場が始まると どこからこれだけの人が湧いてきたの?ってくらいな人、人、人!!!

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アガる気持ちを抑えて 冷静に入場者数を数えてたのですが、200人近い人が場内をパンパンに埋めて、その時を今かいまかと待ってくれてる感じ。その上、まだ どんどんお客さんが入ってくる。(上海時間、恐るべし!:笑)

 

それが・・・・・配給会社のサウンドロゴが鳴ると 急に静かになり、そして 何か期待感みたいな熱が会場に拡がり始めてるのがハッキリ分かる。

 

そして…

本篇中の感性や 大きな笑い声、

演じている俳優さんへの「挺住!」という激励の大きな声、

本篇が終わったときに ブワッと湧き上がった拍手、

エンドロールが終わったあとの、長い拍手、

 

もう涙腺崩壊寸前。

 

 

 

 

 

 

 

上映後には「監督ですか?」とか「プロデューサー?」と多くの一般のお客さんから声をかけられ、”音楽屋です。”と伝えると、「おぉ!音楽!!何回も感動しました」とか「ギターの音に涙が出た」など 沢山の嬉しい言葉をいただきました。

 
この経験、そして上海のお客さんの熱量を、おそらく一生忘れることはないと思います。

 

会場となったSFC Cinema World HALL 1 は 映像の質も 音の環境も とても良かったです。
他会場含め スタッフの方々にも とても親切にしていただきました。謝々。

 

 

さて、武さんからいただいた 『最後の課題』を無事に終えることが出来ましたが、”また この場に来たい!”  と心から思ったし、リベンジしたいことも出来ました。

 

ありがとう上海。
そして  第22回 上海国際映画祭、上海のお客さん、ご助力くださった本作プロデューサーの皆さま、SIFF事務局 Room504の皆さん、ご関係各位、大謝!!

 

必ず、また来ます!

 

#上海国際映画祭 #22thSIFF #我要加油 #武正晴 #SFC上影影城 #ありがとう上海

 

時代を超えて歌い続けられる名曲

リーグ4連覇のかかった今年のカープは、開幕から他チームに完膚なきまでにヤラれる日々が続いた。
開幕戦こそ完封勝ちしたものの、その後の12試合の成績を合計すると<32-75>というダブルスコア以上の負け方で、中には「0-9」「1-10」「3-15」という 高校野球の地区予選ならコールド負けのような不甲斐ないゲームすらあった。

在京のニュースなどでも この異常事態を報じていたくらいだから、地元・広島の新聞紙面などは かなりなものだっただろうし、お好み焼き屋や居酒屋などでは毎夜 くだを巻くカープファンが さぞ多かっただろうなと思う。

 

しかし、その後 少しずつではあるが しっかりと立て直し、ここ数試合ではあるが4連勝、それも”勝ち方を知っているチーム”らしい勝ち方をしている。
勝負事の歯車は、一度ズレると泥沼にハマるまで崩れてしまうが、それが何かの拍子にガチッと噛み合うと こんなにスムースに勝てるものなのかと驚くくらい 今や『強いカープ』である。

 

 

そんなカープ連勝ニュースの陰から そっと顔を出すように、有馬 三重子さんのお名前がネットニュースに掲載された。

 

作詞家・有馬三恵子さんと聞いて、それでスグにピンとくる方は多くないかもしれない。
でも《それ行けカープ〜若き鯉たち〜》や《勝て勝てカープ》と聞けば、カープファンで知らない者はいないと思う。

1975年の初優勝した年に発売されたレコード《それ行けカープ〜若き鯉たち〜(B面 / 勝て勝てカープ)》は、中国地方だけで30万枚を超えるセールスを記録し、初優勝後には<ヴィクトリー・カープ>も発売された。
これらの作品は、すべて 有馬三恵子さんと作曲家・宮崎尚志さんのコンビによるもの。

 

そんな有馬三恵子さんの代表曲として一番に挙げられるのが<小指の思い出>なのだが、オレがおそらく物心ついて最初に聴いた歌が 《それ行けカープ》、そして次に聴いた歌がコレだったと思う。(発売から考えると順序は逆なはずだが、そこは広島県民なので・・・笑)

https://youtu.be/g4DcV-vfhY4  南 沙織 / 17才

 

この歌は、その後 森昌子さんや桜田淳子さんがカバーされ、アルバムに収録されたのだが、発表から18年経った89年に森高千里さんのシングル曲として再度 注目された。
(このシングル「17才」のc/wが なぜ<20才>という曲だったのは謎なのだけど)

そして2008年に銀杏BOYZがカバーしたり、最近でもアイドルグループがカバーしたりと、47年間に渡って多くのアーティストやリスナーに愛されてきた歌。

 

そんな時代を超えて歌われ・愛され続ける名曲を数多く世に出されてきた有馬さんだが、2019年シーズン、なかなか不甲斐ない試合ばかりだったカープが ようやくまとまってきて、連勝し始めた矢先に お亡くなりになられた。

 

カープが25年ぶりにリーグ優勝した2016年の1年前、まだBクラスだったが黒田投手がヤンキースから広島に帰ってこられた際に「オレらも 何か応援できないかな」とカープファンの音楽プロデューサーやエンジニアと CarpLovers+(カープラヴァーズプラス)というユニットで カープ応援歌のピアノカバー曲制作に着手した頃から 有馬先生や宮崎先生の歴史を一層 深く知ることになり、このユニットで作ったアルバム【CARP SOURCE〜ジャズピ味〜】がビルボード国内チャートのTop10入りしたり、大手通販サイトのランキングでも3部門で1位にならせていただいたことなどから 続編の制作もすることになり、計二枚のアルバムで 有馬先生・宮崎先生コンビの作品を大変多くカバーさせていただいた。

代表曲でもある《それ行けカープ〜若き鯉たち〜》は、<Love CARP ver.>としてオレ自身も
ガッツリと編曲させていただいている。
https://www.amazon.co.jp/それ行けカープ-Love-Carp-ver/dp/B0778Z4HBP
(このver.は、在広のスポーツ番組やカープ報道などで本当に沢山 BGMとして使っていただき、現在も使っていただいてるそうで、在広局の皆さまには感謝しかないです)

 
千葉の方にお住まいで、でも マツダスタジアムにも足を運ばれて応援されているということは 人づてに聞いていたが、出版社経由でご承諾や許諾をいただいていたので、とうとう最後まで手渡しでアルバムをお渡しすることが出来なかったのだが、毎回 快くご快諾くださり、いつかお会いしたら ちゃんとお礼を言わねばと思っていただけに、有馬先生のご訃報は残念でならない。

明日で生まれてきてから50年、丈夫に産んでくれた親には もちろん感謝しているが、小学校1年生だったクソガキが赤いキャップを被り、滑り台の上で「カープ♪ カープ♪」と口ずさんでからの40年以上、まさか自分が将来 先生の楽曲を触らせてもらうことになるとは思ってもいなかった。本当に感謝しているのです。

 

有馬先生、
先生の書かれた詞、描かれた光景は、これからも広島の人たちの心に、そして広島の街にずっと流れていくと思います。
そして また、CarpLovers+として、大事に大事にカバーさせていただきたいと思っています。

ご冥福を心からお祈りいたします。

 

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いつのまにか満開になってた桜に気づき、かき醤油味の付いた広島のりを巻いたのと [旅行の友] をまぶした 朝メシ代わりの握り飯を持って隅田川沿いへ出かけた。
新しい元号が発表になるという前日だからか、やはり花見シーズンだからなのか、例年にも増して賑やかな川沿いの桜の根元に腰をおろした瞬間、ようやく<3月>から解放され、少しだけ背負っていたものを降ろせたような気になれた。

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昨年1年間のほぼ毎日 ずっと向き合わせてもらっていた映画の公開に合わせて、熊本と広島の舞台挨拶に監督や役者さんらと同行させていただいた。
色々なご縁をいただいている熊本だが、初めてお邪魔した立派な劇場では大変手厚いおもてなしを受け、上映後に劇場に入ると 見知った顔も多かったのだが、その殆どの方の眼から涙が溢れているのを見て 心から有難く思った。

広島の劇場は公開3日目だったが 満員で、万雷の拍手の中で舞台挨拶が行われ、その熱量が上映中に どのように変わっていくのか どうしても見たくて、劇場の方に無理を言って席をご用意いただき、来場されてたお客さんと一緒に観させていただいたのだが、エンディング・ロールが流れ始めたあたりで 隣にいらっしゃった俳優の眼 鏡太郎さんは声をあげて泣いてらっしゃった。
約1ヶ月間、南大隅町で合宿生活のような撮影を経て、こうして超満員のお客さんの熱を目の当たりにしたことで その感激も一入、”冥利に尽きる”とは こういうことなんだとお感じになられたらしい。
[ カメラを止めるな] など、ヒット作品にも多くご出演されてる 脂のノった役者さんだが、そんな人ですら感激してしまうほどの劇場内の熱量を感じれたことは オレ自身にとって とても大事な経験になった。
眼さんのお陰で オレは泣くタイミングを完全に外してしまったが (笑)、眼さんの涙は とっても綺麗な、そして責任感のある涙だった。

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都内に戻り、2週間ほど籠ってデモを仕上げてからは ひたすら採譜の日々が続いた。
2年ぶりとなる【ザギンdeユーミン】が銀座TACTという由緒あるライヴハウスで開催されることになり、十数曲の上モノの音を拾ってはリアレンジしていく・・・という作業は 一朝一夕・右から左に出来るような簡単なことではない。
が、細野晴臣さん・松任谷正隆さん・佐藤博さんらが40年前に組み上げられた編曲のイメージをトレースさせていただける機会なんて そうそう無い。
なかなか大変な作業だったし 本番前日に使う予定だったシンセが いきなりブッ壊れ、BANKデータなど全てフッ飛んでしまうという頭真っ白・衝撃的なこともあったが、ライヴは超満員、とても楽しくやらせていただいた。

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Photo by Tokiya Utanaga

 

「3月もあと5日ほどで終わる、残りの日々は 作業場の片付けなどもしながら 少しゆっくりして新年度に臨もう」と思っていた矢先、療養中だった知人の訃報が入った。
46歳、まだまだ これからが人生本番という中で、ご本人も頑張ってらっしゃったのだが、容体が急変して そのままお亡くなりになった。

月に一度 プレイさせていただいてた渋谷のクラブのキッチン・チーフだったのだが、彼女の作るフードは 何を食べても美味く、そして目立たないように手の込んだ料理を作る名シェフだった。
どセンターにヴォーカルがいて、オケの出入り・パンの振り方などの定位感が とってもよくまとまってる音を聴いてるような、・・・そんな音楽的な料理を作れる数少ない人だなぁという印象をオレは持ってた。
ご主人もDJだからか、選曲や繋ぎにも非常に敏感で、プレイを終えてバーカウンターに行くと キッチンから出てきて「サイコ〜」とサムズ・アップしてくれた日にゃ、嬉しくなって その後のオレの酒量は自然と増えるのも当たり前w、今でも”亡くなられた”という気がしない。

 

でも、・・・でも、隅田川沿いにしゃがんで 握り飯を片手に キラキラ光る水面を見てたら ふと「桜の時期になると彼女のことを思い出すようになるんだろうな」と、思った。

 

 

なんだか 色んなことがあった3月が終わった。

 

平成という時代が終わろうとする間際に、いろんなものを背負わせていただいたような気がする。
喜びや悲しみ、腹の底でグッと抑えた怒りや どう感情で表現すれば良いのか分からないようなこともあった。そして、色々な”表情”もたくさん見せていただいた。
この1ヶ月に感じたり見たりしたことだけでも、自分自身の情緒が随分と豊かに・幅広になるのではないかと意識してしまうくらい。
色んな意味で 豊かな日々を過ごさせて貰ったのだと思う。

 
さて、己に出来ることを精一杯、そして出来るか出来ないかスグには判断できないような高いハードル越えもガムシャラに、
ここから またギアを1段階も2段階もあげて、もっともっと強く進んでいきたいなと思うのです。

 

新たな時代の幕開け、令和元年も どうか宜しくお願いします。

 

 

 

 

映画『きばいやんせ!私』3月9日公開です。

3月9日に公開になる映画『きばいやんせ!私(武 正晴 監督・足立 紳 脚本 / 主演:夏帆・太賀)の音楽を書かせていただいてます。

http://kibaiyanse.net

 

九州最南端の鹿児島県南大隅町の豊かな自然を舞台に、不倫騒ぎで人生のどん底に落とされた主人公・貴子(夏帆)が取材対象である伝統的な祭りの復活を通して、 仕事との向き合い方や生き方を見つめ直し 自分の人生にも輝きを取り戻そうと奮闘する「笑いと涙の復活劇」。

楽しくて、どこか懐かしさもあって、牧歌的で、少し弾けてて、でもしっかりとした味わいのある素敵な作品です。

ぜひ劇場でご覧いただきたい作品です。
3月9日ロードショー、どうか宜しくお願いいたします。

 

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オレも君も新たなスタート

 

新年明けましておめでとうございます。

今年は三が日だけ しっかりダラダラして、4日からジョギングや筋トレをスタートしたのですが、5日の午後から発熱しまして(苦笑)。
・・・もはや正月に体調を崩すのが定番になってきています(笑)。

 

さて、先日は成人の日でしたね。
新成人の皆さま、おめでとうございます。

全国各地で成人式が始まる数時間前、前日の京都から大移動して 久しぶりの仙台の駅に降り立ちました。
目的は”女川町の成人式に出席すること”。

 

2011年の東日本大震災、その後 被災地で最初に復学したのが女川第一中学校でした。
その震災直後に入学してきた新1年生が卒業するまでの間・・・2年半ほどの中で、何度も女川にお邪魔し、一緒に給食を食べたり、音楽作品を作ったり、アーティストのコンサートツアーの裏方を務めたりしたのですが、そのときの生徒さんたちが 成人を迎えられたのです。

 

彼らと一緒に作った 『空』(作詞:Satomi・作曲:都志見 隆)という楽曲と、『羽よ、魂となれ。』(作詞:Satomi・作曲:岡本真夜)という2曲を収録したシングルは、なんと当時のオリコン・チャートでも上位に入ったのですが、『空』は その後の女川第一中学校で<青空プロジェクト>という生徒さん主導の活動が始まり、PTAの総会でもご父兄の方々が毎回歌ったり、校内や町の行事でも歌われ、震災後の女川の町で多くの方々に歌っていただいた楽曲になりました。

彼らが卒業する際には、卒業式のプログラムにも全くなかったにも関わらず、閉会宣言を遮って いきなり全員で歌い始め、ざわついた会場が 歌が進むにつれ静かになり、そして歌い終わった後には、会場が大きな拍手に包まれました。

 

 

その卒業式の後、Rくんという学校で1・2を争うくらいヤンチャだった生徒が オレのところに来て みんなの前で言いました。
「山元さん、オレらが成人するときに来てよ」と。

彼らの歌を録るとき、「一緒にこうやって作品を作るってことは、最低でも君らが成人するまで付き合うつもりでオレは作品を作ってる」と言っていたのですが、それをRくんは しっかり覚えていてくれたのです。
「おう!もちろんだよ。その時に一緒に酒が飲めるなら、オレが全員の酒代を払ってやるよ!」

・・・あとから「あ、卒業生って100人以上いるなぁ。。。大きく出すぎたかなぁ」と ちょっと後悔したのですが(笑)、その約束を胸に刻み、数年を過ごしていました。
もちろん、その間にも女川をはじめ石巻などに何度もお邪魔していたのですが、そのときの卒業生に会う機会はなく、今回会うのが実に5年ぶり。

 

成人式の朝、新調した着物や袴に着替えながら、Rくんは「山元さん、来るかなぁ・・・」とお母様に言ったそうです。
それを聞いたお母様は「うん、絶対に来るよ!」と仰ったと伺いました。

行きますとも!!(笑)

 

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成人式、そして実行委員会による式典、新成人だけで集まって初めて飲む二次会、先生方との三次会、と明け方まで続いた宴 すべてに参加させてもらいました。
色々書きたいのだけど、その1日の素敵な想い出は、文字にするには大きすぎて、オレの胸の中にしまっておこうと思います。

 

離れても遠くの青い空の下で元気に頑張る 女川町出身の新成人の皆さんにも届く作品が作っていけるよう、今年も頑張ります。

 

 

 

さて、来年も頑張ろう!

作業場や自宅の掃除を終え、正月用の買い物を済ませて ようやく一息つきました。

 

「光るものは よりピカピカに、そうでないものもピカピカに」は、BOSSの言葉。

来年も 1人でも多くの方に届く作品が作れるよう、一つひとつ誠実に作品と向かい合っていきたいと思っています。

 

今年も大変にお世話になりました。

皆さま、どうか佳い新年をお迎えくださいまし!!

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暮らしの劇伴

少し落ち着いたので、作業場の環境をいろいろ思い切って変えることにした。
愛着のある古いモノで勝負することも またあるだろうが、やはり どんどんと新しいモノを取り入れて、使って、時代の流れに慣れて行くことも必要だと考えた。

大枚払ってメール1通、ダウンロードするための1行のコードとマニュアル。
昔のように楽器屋に行って店頭でお兄さんとアレコレ話して機材を買うということも無くなり、ネットでカートに入れ、決済したら すぐに使える時代だ。
高価なオーケストラ音源などは アクティベートするまで不安でドキドキするが、購入したあとのなんとも言えない味気ない感じにも少し慣れてきた。

 

いくつかのソフトをダウンロードする際に かなり時間があったので、過去に制作した音源やデータなども少し整理していたのだが、ある1曲を聴いていて 思わず手が止まり、何度も何度も繰り返し聴いた。

 

 

 

 

『Home & Life』
2011年に作らせていただいた作品で、住まい方アドバイザーの近藤典子さんとダイワハウスがコラボレートした「ケーススタディハウス」のWebに曲を書いてくれないかと、近藤典子Home&Life研究所の在原社長からオーダーをいただいた。

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近藤さんとダイワハウスがコラボしたケーススタディハウスは、2006年5月に広島で最初のモデルハウスが完成し、その後2007年に横浜と神戸、2008年に名古屋が完成した。
その広島・横浜・神戸・名古屋のケーススタディハウスごとにWebサイトがあったのだが、2010年末あたりからサイトのリニューアルが始まり、発注を貰った頃は最後の仕上げをされていたようだった。

東日本大震災から数ヶ月経った頃で、半年以上先まであった仕事が全てキャンセルになり、石巻や女川に長く滞在して、これまでに見たこともないような色んなことを体験している最中で、大きな自然災害の前での音楽の無力さを感じたり、自分自身の これまでやってきたことに疑問を感じたりしていたのだが、目先の仕事も無いオレを気遣って発注してくれた社長の想いに応えようと、震災後まだ整理できていない 散らかった作業場で、ピアノの前に座った。

 

 

鍵盤に触ろうとすると、現地で見た風景が鮮明に蘇り、とてもじゃないが ”暮らし心地よさ”を表現するようなメロディなんて全く浮かんでこない。
毎日 朝から晩まで座ってるだけで2日経ち 3日経ち・・・すぐに数日が過ぎていった。

そんな日々を過ごしているうち、ふと「今のオレに書けるものを書いてみよう」と思った。
少し張りつめていた気持ちが軽くなった気がした。

 

自分の見た、人の一生、
当たり前の生活ができることの尊さ、
人が生きる上での哀しみや喜び、
そして人生という時間、
それらを包むような曲が書きたいと思い、完成した2分の曲を何度も練習し、一発録りした。

http://www.hli.jp/nagoya/

 

 

まだ劇伴など1曲も書いたことが無い頃で、思えば この曲がオレの劇伴第1号と言っても良いかもしれない。
津波で流されたり、大きな穴が開いた 寒々とした家々に、いつか暖かな光が灯るようにと願いながら書いたこの曲を聴いていると、当時の色々な想いが蘇ってくる。
Webのコマーシャル用音楽として発注をいただいたが、人の暮らしに寄り添える曲が書きたいと強く思って書いた・・・今思えば、いろんな人の暮らしに合う”<劇伴>が書きたい”と思ったのかもしれないと思う。

 

良い曲を書こう、
素直にそう思った。

 

 

あっという間に1年

 

この仕事を始めて もうかなり経つが、こんなに毎日音楽に明け暮れた年は無かったように思う。

 

昨年のクリスマス、
プロデューサーが予約してくださったスペイン料理屋で監督に会うのは3度目だった。

1度目は恵比寿のレストランで開催された何かの親睦会で。
2度目は『嘘八百』という中井貴一さんと佐々木蔵之介さんW主演の作品の試写会で。
そして3度目。

「この映画はスペイン音楽で勝負したい」と、フラメンコの生演奏が鳴り響く店内でオレに言われた。

 

その翌日、スペインでスペイン音楽史をずっと研究されてる方に「スペイン音楽を書くには どうしたら良いか?」と素人のような質問をした。
今まで自分が聴いてきたスペイン音楽の知識だけでは きっと高い打点のものが作れない、本能的にそう思ったから。
その上、フラメンコ特有の「コンパス」というリズムは一朝一夕には体に染み付いていかない。

 
”朝起きて眠るまで、毎日ずっとフラメンコを聴きなさい”

その1行、その一言を信じて、半年間ずっと そんな生活を続けた。
ビンテージのフラメンコギターとクラシックギターを買い、毎日何時間もずっと弾いた。

 

書いても書いても修正の連続で、壁に貼ったリストには×印や「再改訂」「再々改訂」「再々々改訂」の文字がいくつも並び、曲データのファイルにも同様の文字が並んだ。

朝起きて、翌朝眠るまで、毎日が文字通り『音楽漬け』だった11ヶ月間、あんなに飲みに出ていたオレが プライベートで一切 酒を飲むこともなかった。

そんな書き方をすると、まるで修行僧のような厳しい生活をしていたようになってしまうが、実は 毎日が楽しくて仕方なかった。
修正や変更で 楽曲の構成やアレンジに頭を悩ませることばかりだったが、なぜか楽しくて楽しくて仕方なかった。

 

すべての楽曲に監督からOKが出て、オーケストラの譜面を書き、スタジオに入る。
レコーディングは11日間、その半分以上が過ぎた頃、アシスタントに「オレ、今週の平均睡眠時間って どれくらいだろうな?」と冗談を言ったら、ササッと計算して「47分ちょっとです」と(笑)。

 

寝不足で 幻聴も幻覚も何度かハッキリ見えた そんな11日間のレコーディング最終日、スタジオでの監督チェック。
すべての曲を聴き終えた監督の口から出た『よし、これで世界と勝負できる!』という言葉を聞いて、レコーディング・エンジニアが背中を震わせて泣いた。
でもオレは不思議と そんな感動もなく、「まだまだだ」という思いだけが より強くなった。

ダビングが終わっても、主題歌のレコーディングが終わっても、全く”終わった”という気分にはなれなかった。

 

0号試写を経て、出演者の方もすべて揃う初号試写、
オレのとなりにはギターを弾いてくれた木村 大氏が座っていた。
上映中、すすり泣くような音が何度も近くから聴こえた。

最後まで感動に全く浸ることなく、エンディングロール、そして主題歌。
曲が終わって 監督の名前が上がってくる。

その時、急に涙が奥のほうから大量に押し寄せてきた。
「ちょっと待って!まだまだ、まだまだオレはヤれる!ちょっと待って!終わらんでくれ!」
・・・そんな気持ちでいっぱいだった。

 

 

11ヶ月間、どんなことがあろうと 絶対にくじけない、そして努力や研鑽を忘れない、そんな音楽屋になるよう監督には本当に鍛えていただきました。
ここから残りの音楽屋人生、どんな作品であろうと 準備を怠らず、この作品で経験したことをのすべてを一つ一つ実践していこうと思います。

 
そして、録音部の石寺さん、音効の柴崎さん、東映撮影所の小林さん、
みなさんとご一緒できた日々は、今後の音楽屋人生の中で一つの宝物です。
またご一緒できるよう、日々しっかりとやっていきます。

 

こんなポンコツで出来損ない、たいした才能の無い音楽屋が多くのご関係者の皆さんにご迷惑をかけたり、力を貸して貰いましたが、その恩が返せるよう、そして一人でも多くの人が作品を観て何かを感じてくださるよう、もっともっと努力します!!

 

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